「ヴィーナス」解題本文

Shocking Blue5


 「ヴィーナス」という題名の楽曲は世界中にごろごろ存在するであろうことが想像されます。
 また、このページでは世界的にヒットした2曲の「ヴィーナス」を取り上げますが、この二大「ヴィーナス」だけでもカヴァー⋅ヴァージョンがごろごろ存在するようです。
 1曲目は1959年米国のオールディーズ「ヴィーナス」。フランキー⋅アヴァロンが唄って大ヒットします。さっそく同じ年に欧州へ伝わり、仏国のグロリア⋅ラッソがスペイン語版とフランス語版でカヴァーしました。仏国チャートで5週連続1位。
 仏国でウケたように、まるでシャンソンを思わせるお上品なおとなしい曲です。1950年代の米国歌謡界といえばロック。しかしロックの50年代も末にはロック狩りが始まり、野蛮なやかましい音楽は徐々に肩身が狭くなります。リトル⋅リチャード、チャック⋅ベリー、ジェリー⋅リー⋅ルイス。
 代わってこの歌のように毒気のない曲が暗黙のうちに推奨されたようです。
 米国歌謡界の主役はロック系からポップス系へ移り、米国から締め出されたロックは欧州の若者文化に活路を求めました。1960年代後半以降、ビートルズやローリング⋅ストーンズ、そしてアニマルズなど英国ロックが米国歌謡界を襲うブリティッシュ⋅インヴェイジョンが起こります。
 仏国グロリア⋅ラッソの5週連続1位から10年後の1969年、2曲目は蘭国ショッキング⋅ブルーの「ヴィーナス」。いわば蘭方ロックです。
 この蘭方ロック曲の効き目はめざましく、世界9か国の週間チャートで1位を獲得、しかも日本では2位、なぜか本国オランダで最高3位どまり、そのうえでの9か国における1位ですから、ほぼ先進国全域をくまなく席巻しています。
 また、1986年にはこの曲をディスコ調でカヴァーした英国バナナラマ版が世界7か国で1位となるリバイバル⋅ヒット、真の名曲だったことを証明しました。
 作曲は世界的なバンドとなるショッキング⋅ブルーを1967年に立ち上げたロビー⋅ファン⋅レーヴェン。
 作曲者に言わせると、この曲「ヴィーナス」のルーツは非常に古く、1848年発表の米国スティーブン⋅フォスターの「おお! スザンナ」にまでさかのぼるのだそうです。おおっ?
 もっとも、直接の本歌は1963年発表の米国のザ⋅ビッグ⋅スリーというバンドの「ザ⋅バンジョー⋅ソング」でした。これは変わった趣向の歌です。普通ならば古典名曲のメロディを拝借するものですが、「ザ⋅バンジョー⋅ソング」では歌詞のほうを借用しました。自前の曲で「おお! スザンナ」の歌詞を唄っています。
 曲名にあるバンジョーは「おお! スザンナ」の歌詞に出てくる楽器、「おお! スザンナ」はバンジョーを引っ提げて巡遊している支離滅裂な内容のコミック⋅ソングです。
 1963年「ザ⋅バンジョー⋅ソング」の作曲はザ⋅ビッグ 3のメンバーの一人、ティム⋅ローズ、もちろんフォスター作詞。このザ⋅ビッグ 3のメンバーにはキャス⋅エリオットもいました、2年後の1965年にママス&パパスの一員として大ヒット曲「夢のカリフォルニア」を歌っています。
 その「ザ⋅バンジョー⋅ソング」から霊感を得たという1969年ダッチ⋅ロックの名曲「ヴィーナス」。遠い親戚にあたる「夢のカリフォルニア」と同様、細かく分類するとフォーク⋅ロックやサイケデリック⋅ロックと呼ばれる仲間に属します。
 1960年代、生地米国で肩身が狭くなった粗暴なロックはフォークソングの自然素朴な雰囲気を偽装し、フォーク⋅ロックという一派を形成しました。それがまた欧州に伝わり、欧州の若者文化において最先端音楽のようになり、欧州伝統の文化に洗われて芸術性を上げます。
 また、「ヴィーナス」という曲名は「おお! スザンナ」のスザンナという抽象的な意中の女性から連想しているのでしょう。抽象的、形而上的な憧れの女性といえば、ヴィーナスの他、マドンナやマリアなど、いろいろな名前が考えられますが、1960年代の和蘭の若者にはヴィーナスだったようです。
 ヴィーナスはもともとギリシア神話の愛と美の女神アフロディーテでした。のちにローマ時代、ローマ神話との神仏習合が図られ、その愛と美の女神という性格(キャラクタ)がローマの女神ヴィーナスに憑依します。
 しかし中世欧州では古代文明を埋め立てた上にキリスト教会が建設されました。近代の女神ヴィーナスは古典復興期イタリア、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」あたりから始まるのかもしれません。この名画のヴィーナスは愛と美がむき出しの強烈なロック調です。

Shocking Blue5

 そうした女神を主題にしているだけでも名曲「ヴィーナス」は色気がありますが、ショッキング⋅ブルーの実際の演奏では歌唱担当のマリスカ⋅ヴェレスが形而上の主題に実体的なイメージを与え、なおさらこの曲にヴィーナスらしさを加えました。
 この曲の発表当時は22歳だったマリスカ⋅ヴェレス、放送禁止のワイセツぶつの貝の舟には乗っていませんでしたが、新たなロック界アイドルの誕生だったことは間違いありません。
 妙に目鼻立ちのくっきりした美貌、父親がロマリア人、母親が仏と魯のハーフだそうです。その父親が職業音楽家、娘も10代から歌手としていくつかのバンドを転々としました。初めての商業録音は1964年、16歳当時、米国ガーシュウィンの ▶ 「サマータイム」 を歌っています。
 1967年結成のショッキング⋅ブルーには中途採用でした。一説には「ヴィーナス」での世界進出という大構想を描いていたショッキング⋅ブルー側の目に留まり、別のバンドから引き抜かれたとも語られます。
 この曲「ヴィーナス」には1969年当時としては珍しく、後のPVのような宣伝目的の演奏映像さえ作られましたから、たしかに意気込みは凄く、この曲のためにマリスカ⋅ヴェレスを引き抜いたという説もまんざらではありません。
 百聞は一見に如かず、当時のオランダ発のその演奏映像を視聴してみると、いろいろ気付かされることがあります。
 明らかに「ヴィーナス」という曲の主題から、女神役の美形ヴォーカルを前面に出す戦略が見て取れる映像です。その女性ヴォーカル、マリスカ⋅ヴェレスに注目すると、くっきり黒く隈取った深いアイ⋅メイク、お人形さんカットのロング⋅ヘア、古代エーゲ海世界の女神様というよりはオリエントの女王様。まあ、どっちにしろ現代離れしたアンティークなおもむきはあります。
 そして服装は──お上品なので気付きづらいですが、これはヒッピーのファッションでしょう、本家本物のヒッピーはもっと垢じみて埃っぽいはずですが。
 米国1960年代のヒッピー文化はカウンター⋅カルチャーとも呼ばれます。対抗文化と訳されます。古き良き時代の理想だった清く正しい風紀を押し付けてくる反面、朝鮮戦争やベトナム戦争をやらかす当局体制、そうした体制側へ向けて放たれたカウンターパンチという意味のようです。
 しかし伝統ある欧州では市民も米国くんだりの若者たちよりずっと先進的な政治的市民だったでしょうから、反抗期みたいなヒッピー文化が根付く余地はありません。たんにファッションのヴァラエティの一つとして摂り入れられたのでしょう。
 ところで、世界を席巻したショッキング⋅ブルー「ヴィーナス」の人気は当時の鉄のカーテンすら突き抜け、1970年代、ソヴィエト連邦の共産主義体制下にも染み込んだといいます。ソ連での曲名は「Shizgarah」、これは英語歌詞のサビの部分の「She's got it」のロシア訛りだそうです。
 もちろん西側からの情報を遮断していた閉鎖政策下でしたから、この西欧オランダ発の他愛ない歌謡曲もモスクワやスターリングラードあたりではヤバい地下ソングや非合法ソングとして、いよいよ禁断の魅力さえ上乗せしてスラヴの若者たちを虜にしたのでしょう。

 最後までお読みくださりありがとうございますm(_ _)m
 ─ ボーナス⋅トラック! (^_-)-☆ ─
▶ マリスカ⋅ヴェレス「サマータイム」

May 15, 2017 - サイト管理人

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