『楽羊の弁明』
解題

商鞅map1

 たしかに原作の将軍楽羊は理由もなくわが子のお吸いものを飲み干しています。
 このページでは本作品を原作者による言い訳がましい自作解説だと解釈しました。
 論拠はいくつかあります。
 第一に主人公の楽羊が本名です。
 漢文では原則として古人に社会的立場の名称を用います。故人の本名を諱むという礼儀です。呼称にふさわしい肩書きがなければ子を用います。
 楽羊の場合ならば楽子です。楽氏の別人との区別はそのつど工夫します。
 当然ながら実際に不都合が発生し、たとえば韓非子はもともと韓子でしたが唐代に詩人の韓子が現れたせいでそれから韓非子になったといわれます。
 この窮屈な原則に反していれば、ほぼ執筆者本人か確実な架空人物かどちらかです。たとえば胡蝶の夢の荘周はほぼ後者ですが、あるいは荘子学派の自由奔放な修辞法なのかもしれません。
 第二点として作中後半の文の前に曰くを補う伝本があります。
 原文でいうと原作からの引用を終えた直後の古今稱之の次です。つまり後半の文を古今の世評で称されている言葉として解釈するのです。
 ところで楽羊の人肉食が称賛された事実はありません。また原作の研究者もそれを道徳的に問題視している場合がほとんどです。
 だとすると古今稱之の後に曰くを補っても称えて曰くとは解釈できません。たんに楽羊の人肉食を取り上げて曰くです。
 いったい古今の何集団が楽羊の人肉食を独り言でつぶやくでしょうか。議論かまびすしいのであれば称ではなく論の字を用います。
 また、曰くを補うことで文意が理解し易くなればまだしもですが、補っていいかどうか定まらないほど後半の文は難読です。そんな難読文を古今が言い交わしているとは考えられません。
 つまり後半の文は世評ではなく当一編の執筆者独自の説です。
 第三に、その難読文を解釈すると、どうやら楽羊の人肉食を弁明し、ひいては原作を正確に読ませたいようです。
 第四に、前半は原作の表現を我が物顔で転用しています。
 いろいろ検討すると、この一編は原作者による補足です。
 ページ作成の時間を惜しんで、一応ここでは、仲間内でからかわれる原作者が反発して書いた文章という背景を想像しました。
 しかし原作は『韓非子』にも転載されていますから、あるいは原作者の存命中に予期せぬ多数の読者を獲得する機会が発生したことも考えられます。
 そうした機会に読者の反応が期待外れだったのかもしれません。
 実際、原作は今でも結末まで人肉食の道徳性というズレた観点で解釈され、そして冗談が通じず作中人物の楽羊も実在人物にされています。
 もしこの一編がまさに作者の不満を動機とする補足文であれば、漢代初期の書籍事情の実態を垣間見せる貴重な資料なのかもしれません。

Jun 08, 2020 - サイト管理人

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