『韓趙相難ず.』
もっと訓下し

 韓(カン)(テウ)(あひ)(なん)ず。韓、魏(ギ)に兵(へい)を索(もと)めて曰(いは)く、願(ねが)はくは師(し)を借(か)り以(もつ)て趙を伐(う)つことを得(え)ん。魏の文侯(ブンコウ)曰く、寡人(くわじん)、趙と兄弟(けいてい)、敢(あへ)て従(したが)はず。趙もまた韓を攻(せ)むる以(ゆゑ)に兵を索む。文侯曰く、寡人、韓と兄弟、敢て従はず。二国(にこく)、兵を得ず。怒(いか)つて反(かへ)る。已(すで)にして乃(すなは)ち文侯の己(おのれ)に講(かう)を已(もつ)てすることを知(し)るや、皆(みな)魏に朝(てう)せり。
(韓趙相難、韓趙は戦国七雄の二国で魏と併せて春秋時代の晋を割った三国、ここの相は双に通ずるお互いにの意、難は戦争の意で用いられる場合もあるがここはまだ非難の難で憎むこと。韓索兵於魏曰 願得借師以伐趙、索の字義は葉や茎をあざなえる縄や綱、ここは検索や捜索の索でうろうろ探索する語感の求める、訓読のすなおな語順はAをBに索すだが便宜的にBにAを索すと訓んだ、願はいわゆるク語法で訓んで願うことは、得はそれ以下をまとめて実現したいと言っている、以はそしてで訓んだ、師は教師や師匠など先生の意でも用いられるものの原義が軍隊、韓の国は兵を欲している状況で文侯には師を借り受けたいと言った。魏文侯曰 寡人與趙兄弟 不敢從、魏の文侯は名君の評判が高い、晋を分割した韓趙魏が正式に諸侯と承認された頃の魏君、寡人は君主の謙譲自称、與の字義は二人×両手、與趙は副詞句、この場合の兄弟は他に予備情報が与えられていないので同じ晋から出た兄弟国の意、敢は日本語では副詞だが漢文では助動詞と扱うらしい、無理に押し切っての意、從は謙遜している。趙又索兵以攻韓、又の字は日本語的な同様にの意ではなく漢文のここでは累加的、又の字義は右手、上に重ねる意味合いがある、ここの索以下も便宜的にBの理由でAを索すと訓んだ。文侯曰 寡人與韓兄弟 不敢從、これは前文と同回答。二國不得兵 怒而反、ここの而は順接、反の字義は手をひっくり返す、ここは自動詞で反転の反。已乃知文侯已講於己也 皆朝魏、結びの文、2つ目の已は以に同じ、以とする伝本もある、1つ目の已はやがての意、乃は然るに、已乃知は一定時間が経過してから悟るという表現、ここの講は講和と受講の講、この作品の講を以てすとは講和を促すのみならず韓から師を請われたので先生になって講義したというオチである、ここの也は次の文節を引き起こす接続の助字、皆の字義は並んで申す、ここの朝は参朝。)

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