『講師文侯』
解題

魏文侯map1

 いわゆる三晋が題材の一編です。
 三晋の韓魏趙、憎み合う韓趙の双方から兵を請われた魏文侯はどちらと結んでも有利だった、が?──「講師文侯」
 この一編は韓・趙あい難ずるという書き出しなのですが、その韓趙に文侯の魏を加えて三晋といいます。
 三晋の晋は春秋時代の晋国です。戦国時代の韓魏趙はその晋を三つに分割した三国なので三晋という呼び方が行われました。
 お話の中で、文侯は韓にも趙にももう一方の国と兄弟だからという口実で共同軍の要請を断ります。
 しかし頭に血が上って兵を借り受けたいと迫る連中に対して、さほど説得力のある断り文句だったとも言いがたいようです。
 連中はわからず屋の文侯に腹を立てて国に帰ってしまいます。原文では怒って反るです。
 なぜ自軍だけで攻め合わなかったのでしょうか。
 怒るとは気分の問題で、気分を害したくらいで引き返せるのですから、そもそもお互い出兵の発端となった相難ずるもやはり感情のもつれを上回る理由ではありません。
 文侯はどちらに味方しても2国×1国の多勢側に回れる有利な状況でしたが、この一編では不参戦に終わります。
 作者はその文侯の態度を最終文の講という字で説明しました。
 講の字には講和と講師の二義がありますが、もちろん作者はそれを十分に承知の上で使っています。
 この一編を通して文侯には全く戦意がありませんから、講和を企んだと作者が言うならそういうことなのでしょう。
 ところが本作品中、戦意のみならず文侯の言動のどこにも講和と呼ぶような働きが見当たりません。
 そこで最終文の講という字を講習や受講のほうの意に取ると、これは本作品の早い段において韓が師を借りて...とお願いしていました。
 師の字も軍隊と先生の二義ですが、どうやら文侯は師という表現を軍隊ではなく先生の意味で聞きます。  つまり韓の願いは先生を借りて趙を伐つことかと考え、趙を伐つかどうかは韓の問題として、ともかく文侯としては期待に応えて先生を演じました。  すると兄弟を攻める兵は出さないという断り文句は文侯先生の教えです。  すでに見たように、教わった側の二国とも怒って反るのですが、しばし頭を冷やすと、文侯の講和の教えを悟り、魏に参朝するほど敬服しました。
 特に何の説明も無いので兄弟とは三晋の意味です。三晋同士で攻め合う兵力ならば惜しむとは、戦国の生き残り競争に使う兵力を三晋の兄弟喧嘩には使わないという意味です。
 文侯のころの教科書で言うと古い詩にある「兄弟鬩牆外禦其務」という言葉かもしれません。『詩経』小雅の常棣です。
 本作品の時代背景は文侯たちの三晋が正式に諸侯として承認される戦国最初期です。
 いわば魏文侯たちは独立したての諸侯一年生でした。
 いつまでも一つ晋国の屋根の下で大国の傘に守られているような内向きのライバル意識に闘争心を燃やす韓と趙は考えが甘かったかもしれません。
 実際の歴史でも文侯の代に魏国が諸侯の先頭に躍り出たとされます。
 ちなみに、この一編は随所で手の所作に関わる字を使おうとします。相(双)、得、與、敢、又、(攻)、怒、反などです。
 一方で、結末文だけは手ではなく一転して口や言葉に関する乃、知、講、也、皆が用いられています。

May 29, 2020 - サイト管理人

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