『深刻な秦国』
解題

商鞅map3

【 追記 】
 解釈について修正しました。
 『竹書紀年』に、衛鞅が魏と戦い、撃破して、尚の地に封じられたという記事があります。
 それ自体は信憑性が高いとはされていませんが、戦国策の商鞅が登場する二作品だけで考えても、この人物を一話から生み出された全くの空想と決め付けるのは疑いすぎの嫌いが大です。
 むしろ衛鞅という名前くらいは伝わっていたと考えるほうがつじつまはよく合います。
 もうすこし積み上げると、『竹書紀年』の記事のように、秦の国で領地を与えられるほど活躍したという口承があったかもしれません。
 もっとも、その先の話は戦国策の二編によって作られた節が太いようです。
 戦国策の商君物語は二編で終わり、続編がありません。彼の活躍の舞台は『商君書』(一名「商子」)に移りました。呉起の場合と一緒です。そして『史記』の商君列伝という小説で集大成されました。
Sep 08, 2020 - サイト管理人

 秀逸な二次創作小説です。
 魏から逃れ、始皇帝の統一につながる徹底した法治で秦国の福の神となった賢才子商君。だが恐怖政治家はついに非業の最期さえも世の同情を引かなかった──「深刻な秦国」
 それはそうです、然り、ちょっと考えればわかりそうなことでした。
 秦始皇帝の全国統一が西紀前200年代の後半です。一方、法家思想の開祖である商鞅が登場したとされる時期は前300年代の前半ですから、優に百数十年かけ離れています。
 なんで恐怖の厳罰社会がそんな早くから準備されるのでしょうか。
 いや、そんなに長く恐怖社会を持続させられるわけがありません。現に統一秦帝国は二十年も持たずに歴史から退場しています。
 ナチス体制も統領が天寿を全うできずに終わりました。冷蔵庫の中の共産主義でさえ一世紀も保存が利きませんでした。
 開祖商鞅から始皇帝の法治主義まではいくらなんでも長すぎます。
 ところが古今東西のどんな集団よりも常識だけはあらまほしい漢籍学者の先生方が揃いも揃って言い続けてきたのです。
 呉起の改革を葬り去った楚の国は滅んだが、商鞅を誅殺した秦とはいえその変法は維持したので天下統一に至った──
 先生方は呉起や商鞅といった登場人物の役名をどこから拾ってきたのでしょうか。
 何もかも前100年頃成立の『史記』が元凶ということになるのでしょう。
 その『史記』が戦国策の本作品のような当時の娯楽小説を素材としていることは読み比べれば明白で、また古くから知れわたっています。
 戦国策に商鞅登場作は二編ですが、『史記』のとりわけ商君列伝はその素材二編の持ち味をうまく活かしているため、ことさらに借用があからさまです。
 もとより『史記』は親父さんの遺言で歴史や伝記を書くことになっていたのですから、独自解釈は許されても創作は御法度です。よそから資料を仕入れて料理するしかありません。
 そうした借用を日本語では翻案とも言い、最近は二次創作とも言います。英語では adapt とも言い、電気器具のアダプターのことです、親作品の各種設定を自作品の主題に適合させるという意味合いです。他に respect (敬愛する)などの言い回しもあるようです。
 『史記』では本作品によって商君伝記全編の骨格をつくり、また魏公叔痤病むという親作品のたとえ話を商君伝の枕のエピソードに使っています。
 もし逆の順序で『史記』の後に本作品を目にすると、さながら『史記』の商君伝を要約した略伝のような錯覚が起こるかもしれません。
 結局、『史記』が嘘つきだというより、戦国策の当の二編がそのまま実話として通用するほどすばらしい出来だったのでしょう。
 ところで『史記』の借用に限らず、戦国策の各話同士でも翻案が行われていたようです。
 本作品は衛鞅亡魏入秦と語り出されます。秦に入国した後の商鞅を描くのですから入秦は問題ありません。一方で亡魏は先行する何かが存在した証拠です。
 後半の讒言場面にも左右太親者深危という不可解な文節があります。告発者によるここの文は古言でもなく俗諺でもなく告発者の自分のことばで恵王を教えているのですから、脈略もない左右という語句は謎です。
 しかし親作品である例の魏公叔痤病むという推理小説を読むと確かに疑問に思うのです。病気見舞いからの帰りに親近の随行者にちょっと耳打ちしている魏恵王の本音の私語がどうした経緯で歴史の1ページに残ることになったのだろうか。
 もうアブなくて茶の間の家族にもうっかり本音ではものが言えません。
 そのほか、商君列伝にも見られますが、諱という字も親作品での用法が絶妙だったため、本作品でもリスペクトされています。
 つまり本作は隙あらば読み手に親作品を想起させようという姿勢です。考えてみればそれが文学です。
 さて、本作品の特徴は二字熟語まがいや四字熟語まがいの意欲的な用字法なのかもしれません。
 また、主題についても、二つの四字熟語まがいの語句のなかに見て取れそうです。
 前半で、商鞅の法令運用法については至って公平無私だったと評しておいて、その結果に対しては刻深寡恩だと手厳しく非難しています。
 この公平無私と刻深寡恩はそのまま秦国法治主義に対する批評です。主人公商鞅はその秦を擬人化した架空の恐怖政治家にすぎません。
 親作品では国の命運を左右する福の神だった商鞅なのに、本作では案外な疫病神の本性が暴かれています。
 親作品は記述の構成を工夫した型破りな小説です。文章作法として魏恵王の謎の言動については即座にその場面で説明するはずですが、作者はわざとその説明を最終最後へ移し替えました。
 どちらにしろ魏恵王の誤解で商鞅を召し抱えそこなったことは明かすのですが、説明を後回しにすると魏恵王に訪れた凋落の運命もその誤解していた心理状態の帰結であることが難なく浮き彫りになるのです。
 ところで親作品のふざけたたとえ話に付き合うと、魏恵王の損害を認定する裏で、秦国の利得も認定することになります。
 その点について親作品では、商鞅のおかげで秦は強くなり、反対に魏は領土を削られたとしていました。
 そして本作は例の刻深寡恩と非難した直後に親作品のその強という表現をリスペクトして、ただ強のみにより周辺国の畏怖を買っただけと畳み掛けます。
 それは親作品が舞台にした時代以降の歴史展開を加味しています。
 魏恵王のヘマの後、ついに魏国は運勢を持ち直すことなく、戦国の終わり近くで滅亡します。一方の秦はざっくり言えばやはり親作品で引き込んだ運気を手放すことなく天下統一につなげました。
 すると商鞅は国家興亡の鍵を握る福の神です。
 魏恵王のヘマで福人を取り逃がしたという筋書きにとどまるならまだしもですが、一方で秦国が福を招き入れたという歴史認識になるのであれば看過できません。
 戦国の勝利者となった秦帝国はほんの二十年足らずで土崩瓦解し、誰にも惜しまれませんでした。
 次に立った漢高祖劉邦は法を三つだけにすると公約し、世の喝采を浴びたとされます。
 逆に言えば厳法主義の強圧独裁帝国に誰しもうんざりしていたのです。そしてそれは統一前の秦国の人々も同様でしょう。
 そこで商鞅は自国民にも他国にもはた迷惑な恐怖政治家の本性を暴かれることになります。

May 21, 2020 - サイト管理人

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