『引き立て将軍』
第1段

 『引き立て将軍』─1.

 魏公叔痤為魏將 而與韓趙戰澮北 禽樂祚 魏王說郊迎 以賞田百萬祿之 公叔痤反走再拜辭曰 夫使士卒不崩 直而不倚 揀撓而不辟者 此吳起餘教也 臣不能為也 (睒)眽地形之險阻 決利害之備 使三軍之士不迷惑者 巴寧爨襄之力也 縣賞罰於前 使民昭然信之於後者 王之明法也 見敵之可撃也 鼓之不敢怠倦者 臣也 王特為臣之右手不倦賞臣 何也 若以臣之有功 臣何力之有乎 王曰 善 於是索吳起之後 賜之田二十萬 巴寧爨襄 田各十萬

 『魏の公叔痤、魏将と為りて韓趙と澮北に戦ひ、楽祚を禽にす。魏王説(よろこ)び郊迎し、賞田百萬を以て之に禄す。公叔痤、反走再拝し辞して曰く、夫(そ)れ士卒をして崩れざらしめ、直(ちょく)にせしめて倚(よ)らざらしめ、揀撓(かんたう)せしめて辟(ひが)めざらしむるもの、此(こ)れ呉起の余教なり、臣は為す能はざるなり。地形の険阻を(睒)眽し、利害の備へに決し、三軍の士をして迷惑せざらしむは巴寧爨襄の力(はたら)きなり。賞罰を前に懸け、民をして昭然と後(しり)に信ぜしむは王の明法なり。敵の撃つ可きを見るや、鼓し敢て怠倦せざるものは臣なり。王特に臣の右手の倦まざるが為に臣を賞するは何ぞや。若し臣の功有るが以(ゆゑ)ならば、臣に何の力(はたら)き有らんや。王曰く、善し。是(ここ)に於て呉起の後(のち)を索(もと)め、之に田二十萬を賜ひ、巴寧爨襄に田各(おの)おの十萬。』


 魏の公叔痤といえば、秦の商鞅……のちに秦国へ渡って聖賢と称された商鞅をなんと私邸で使っていたことが世に知られる所となり、人をあっと言わせたおとぼけ大臣である。
 やってくれる公叔痤。あるとき魏王から将軍を拝命し、宿敵の二か国である韓そして趙の共同軍と澮北の地に戦って、なんと将軍の楽祚を討ち取ってしまい、これまたやってくれたのであった。
 とにかく地味な印象とは裏腹に人を愉快にさせずにいない奥ゆかしい好漢なのである。
 もちろん敵将を取った最高の大勝利なので公叔に任せた魏王は愉快すぎて興奮もひとしお、凱旋する将軍痤を都の郊外まで遠出して迎えたものである。そしてその場で賞田百万という褒美が発表された。それはこの大勝利に対して誰もが納得の満額回答であった。
 ところが公叔はこの当時の簡略化された再拝辞するの礼儀の先に小走りの後ずさりまでして心から遠慮恐縮する態度を見せた。
 そして公叔が辞退して語るには、自分は活躍していない、勝利のために働いた真の立役者こそ賞してほしいということらしい。
 「我が軍はまことに勝利にふさわしい王者の軍団であるように見えました。行軍の隊列が乱れず、士官兵卒ひとりびとりの姿勢もすっくと立ってだらしなくない、また心掛けも怠けたがる気持ちを追い出して軍規から外れない、そうした用兵の法はかつてかの呉起様が教練してくださったことの名残でございます、手前めのよくいたすところではありません。そしていざ戦端を開きますと、やはりわたくしめの出る幕などほとんどございませんでした。山あり坂ありの地形にかならず目を配り、いつでもその有利不利を気に掛けておき、全軍において隊長たちの指示がいささかも混乱をきたさなかったことは巴寧殿そして爨襄殿の地道な働きだったのでございます。ちなみに外征は国の華、これほど民の興味を引くことはございませんので、論功行賞や軍法会議が理屈に合っていれば民が王様を仰ぎ見ることお日様をまぶしがるが如しでございましょう。さて、では将軍だったわたくしめの役回りを振り返ってみますと、もう敵は我々が武器を振り上げさえすれば泣いて逃げ出すというほどおろおろと狼狽しておりましたので、誰が将軍だったとしても必ずや攻撃を命じます、わたくしもわざと怠けることだけはせずに陣太鼓を打ち鳴らしました。さればただ今、王様がバチを上げ下げしていただけの我が右手をいたくお気に召されて、ただこれだけをご褒美に与らせようとは何ごとでございましょうか。もしやわたくしめに何かしら手柄があったということでありますならば、ぜひ自分でもどのような働きをしたものか知りたいと存じます」
 公叔からそう言われて、王は思慮混じりに大きな息を吐き、「うむ。良かろう」と、深く感心した様子だった。
 そこでさっそく王の発令で呉起の遺族をこの時はじめて探し回り、恩給として田二十万が下賜され、次いで巴寧と爨襄にもそれぞれ田十万づつということになった。

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