『引き立て将軍』
解題

商鞅map1

 商鞅の後見者として中国古典文学に登場した魏の公叔痤、この一編は再登板なのでしょう。
 韓趙2国共同軍に大勝利した魏将公叔痤、そのうえ真の功労者は周囲の者たちだったのだと手柄を譲る、それは『老子』最終章の聖人の道に適う徳であった──「引き立て将軍」。
 地味というか渋いこの一編を取り上げてみた理由も、法家思想の開祖とされる商鞅について追跡するためでした。
 魏の公叔痤は『戦国策』の二編に登場し、もう一編のほうで商鞅の面倒を見ています。
 その作品によると、魏王の信頼厚い大臣だった公叔痤ですが、いまわのきわになり、後任者として商鞅を推挙しました。
 のちに秦国の商という土地に封じられるので商鞅、公叔痤の世話になっていたとされる頃は公孫鞅の名でとある王侯一族の出自という設定でした。
 一面的にはその作品の公叔痤は誰よりも先駆けて商鞅の才能を見抜くという役回りです。
 そう一風変わった点に目をつけて、この一編の作者は物のよく見える主人公として公叔痤を起用したのでしょう。
 また、この作品には商鞅こそ出てきませんが、公叔痤のほか、呉起そして老子という古典文学的な名前が出ています。
 そうした先行文学に拠っていること、内容が小難しいこと、それ以外にも成語や熟語が多用されている文体などを勘案すると、漢代文学が成熟した後の新しい著作品のようです。
 呉起は兵法書『呉子』に登場します。
 『呉子』という書の文章を見ると二つの異なる形式が混在していますから、別々の著作が後で一つにまとめられたのでしょう。
 呉起という人物が登場する対話篇、そして呉子という先生の思想だけが述べられる論述文の二形式です。
 呉起という主人公の物語が先に作られ、それを実在人物とした新世代によって呉子の敬称で翻案されだしたという推測が自然かもしれません。
 老子は他に道徳経とも名づけられていた書物です。
 前漢前期、西紀前100年代中盤の墓にも副葬され、古くから愛読されていたことは確実ですが、一面的には、失われやすい巻物なのにその当時も世に在ったということになります。
 伝説どおり前400年代や300年代の成立であれば、そのほかごまんと数え上げられる佚書もろとも漢代の墓にさえ写本が残っていなかったかもしれません。
 この一編に引用される一節は現行本『老子』の最終章にあります。掘り出された現存最古版にもありますが、トリを飾る章ではありませんでした。
 さて、この一編は結論をその引用で締めくくっているように、『老子』のことばの解釈が主題です。
 ここの引用文と現行本『老子』では二字違っているものの、大意は変わりません。
 聖人は人から取って貯め込まない、むしろ人に与えて自分が豊かになる。
 引用部分の意味はそういう逆説のようです。
 この古来おもしろがられてきた逆説的表現は今日の起業セミナーでも盛んに用いられています。
 世のため人のためになること、社会のニーズに応えること、そこに新たなビジネスモデルがある!
 しかし現代の講師たちは典拠が意外に老子哲学だと知らないかもしれません。

Sep 15, 2019 - サイト管理人

inserted by FC2 system