『引き立て将軍』
現代日本語訳

老子と算盤

 1.
 魏の公叔痤といえば、秦の商鞅……のちに秦国へ渡って聖賢と称された商鞅をなんと私邸で使っていたことが世に知られる所となり、人をあっと言わせたおとぼけ大臣である。
 やってくれる公叔痤。あるとき魏王から将軍を拝命し、宿敵の二か国である韓そして趙の共同軍と澮北の地に戦って、なんと将軍の楽祚を討ち取ってしまい、これまたやってくれたのであった。
 とにかく地味な印象とは裏腹に人を愉快にさせずにいない奥ゆかしい好漢なのである。
 もちろん敵将を取った最高の大勝利なので公叔に任せた魏王は愉快すぎて興奮もひとしお、凱旋する将軍痤を都の郊外まで遠出して迎えたものである。そしてその場で賞田百万という褒美が発表された。それはこの大勝利に対して誰もが納得の満額回答であった。
 ところが公叔はこの当時の簡略化された再拝辞するの礼儀の先に小走りの後ずさりまでして心から遠慮恐縮する態度を見せた。
 そして公叔が辞退して語るには、自分は活躍していない、勝利のために働いた真の立役者こそ賞してほしいということらしい。
 「我が軍はまことに勝利にふさわしい王者の軍団であるように見えました。行軍の隊列が乱れず、士官兵卒ひとりびとりの姿勢もすっくと立ってだらしなくない、また心掛けも怠けたがる気持ちを追い出して軍規から外れない、そうした用兵の法はかつてかの呉起様が教練してくださったことの名残でございます、手前めのよくいたすところではありません。そしていざ戦端を開きますと、やはりわたくしめの出る幕などほとんどございませんでした。山あり坂ありの地形にかならず目を配り、いつでもその有利不利を気に掛けておき、全軍において隊長たちの指示がいささかも混乱をきたさなかったことは巴寧殿そして爨襄殿の地道な働きだったのでございます。ちなみに外征は国の華、これほど民の興味を引くことはございませんので、論功行賞や軍法会議が理屈に合っていれば民が王様を仰ぎ見ることお日様をまぶしがるが如しでございましょう。さて、では将軍だったわたくしめの役回りを振り返ってみますと、もう敵は我々が武器を振り上げさえすれば泣いて逃げ出すというほどおろおろと狼狽しておりましたので、誰が将軍だったとしても必ずや攻撃を命じます、わたくしもわざと怠けることだけはせずに陣太鼓を打ち鳴らしました。さればただ今、王様がバチを上げ下げしていただけの我が右手をいたくお気に召されて、ただこれだけをご褒美に与らせようとは何ごとでございましょうか。もしやわたくしめに何かしら手柄があったということでありますならば、ぜひ自分でもどのような働きをしたものか知りたいと存じます」
 公叔からそう言われて、王は思慮混じりに大きな息を吐き、「うむ。良かろう」と、深く感心した様子だった。
 そこでさっそく王の発令で呉起の遺族をこの時はじめて探し回り、恩給として田二十万が下賜され、次いで巴寧と爨襄にもそれぞれ田十万づつということになった。
 2.
 この微笑ましい一件にはたいへん考えさせられる結末がまだ続く。なにしろ魏王は次のように感心していた。
 「公叔はなんとできた人間か。君主のために大功を立てた大将だというのに、名臣の忘れ形見たちの暮らし向きもちゃんと気に掛け、それから働きのあった者たちの目立たない努力も埋もれさせない。これだけ周囲に気配りしていることに報いないでいいものか」
 だから公叔によって名指しされた者たちに褒美をとらせた後で、それと同じ田四十万を公叔にも加増している。つごう田百四十万、これはもう戦勝のご祝儀では済まない。
 すっかり古くなってしまったが、老子に次の言葉がある。
 「聖人はむさぼり取らない。まったく人のためにするのに結局は自分が物持ちになり、人に与えたはずなのに結局は自分のところに増えてゆく」
 この一件の公叔はまさに聖人の方法論をやってくれたのである。

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