『荘子』雑篇徐無鬼篇.6
莊子送葬 もう少し訓下し

 «徐無鬼篇 6 - 註解»
 荘子(さうし)、葬(さう)を送(おく)り恵子(けいし)の墓(はか)に過(す)ぎ、顧(かへり)み、従者(じゅうしゃ)に謂(い)ひて曰(いは)く:
 ──郢人(エイひと)、其(そ)の鼻端(びたん)に堊慢(あまん)すること蠅翼(ようよく)の若(ごと)くせり、匠石(しやうセキ)をして之(これ)を斲(けづ)らしむ、匠石斤(きん)を運(めぐ)らすこと風(かぜ)を成(な)せり、聴(き)きて之を斲(けづ)り、堊(あく)を尽(つ)くせども鼻(はな)(きず)つかず、郢人立(た)つまま容(かほいろ)を失(うしな)はず、
 宋(ソウ)の元君(ゲンクン)之を聞(き)き、匠石を召(め)して曰く、嘗試(こころ)みに寡人(くわじん)を為(もち)ひ之を為(な)せ、
 匠石曰く、臣(しん)(すなは)ち嘗(かつ)て能(よ)く之を斲(けづ)れり、然(しか)りと雖(いへど)も、臣の質(たち)(し)ぬること久(ひさ)し、──
 夫子(ふうし)の死せし自(よ)り、
 吾(わ)れ以(もつ)て質(たち)を為(な)すこと無(な)し、
 吾(わ)れ与(とも)に之(これ)を言(い)ふもの無(な)し。
(=徐無鬼篇のこの章は一年か二年前に胡蝶の夢という歴史雑記ページの尻ぬぐいにも使っているが、この機会にちゃんと解釈してみることにした。『荘子』の中で言うと荘子のキャラクターを利用した荘子もの笑話というような類型に属す。その荘子劇に劇中劇も組み込んだという構成である。もちろん平面的に荘子劇だけで主題を展開する手もあったはずだが、傑作の劇中劇に主題を代弁させるという手の込んだ重層化構造によりたいへん短いお話ながら奥行きのある面白さが実現されている。主題は荘子哲学お得意の逆説である。主役から脇役への価値転換と言ってもいい。文学的には意外性の妙味が見せ所となる主題であり、この小説ではその意外性を引き立てるために劇中劇という手法の他にもいろいろと仕掛けが施されている。原文、莊子送葬過惠子之墓 顧、この冒頭の送葬と過のあいだに句読点はいらない、荘子は野辺送りをその亡き人の墓前で偲ぶまでに過ぎたので恵子の墓前にいる、つまり墓を過ぎるではなく過ぎるに墓までで現在は墓前にいるの意、顧は従者に振り向いて往時を振り返る。郢人は楚国の都の郢の人、この劇中劇はたぶん舞台が宋国なので郢人ははるばる遠来、郢人とした人物設定の意図については未詳。続く堊慢其鼻端若蠅翼は難読文だが、作為的だから難読なのである、作者の考えの道筋に注意しないで字義だけから解釈しようとする読みかたは善くない、この文節の文意を飾らずに書くと郢人塗堊其鼻端、しかし作者は鼻の先という言葉からご自慢というイメージを連想してしまった、鼻高々や鼻にかけるなど、それを漢文に書くと郢人自慢其鼻端、無用のことながら訓読しておくとソのビタンにジマンす、皿まで食らわばその文意は慢の字義が引き延ばしてひろげるなので鼻の先にご自分を引き延ばしてひろげること、そのご自分を石灰水溶液つまり白い泥にすり替えて原文の郢人堊慢其鼻端若蠅翼となるに至る、ちなみに蠅翼はもちろん誇大表現。こうして無闇におおげさな芝居がかった登場の郢人、そのわりに出身地のほかのプロフィールとなると氏名未詳で職業も不明、黒幕は目立たないで鼻先の白堊だけを際立たせる、郢人のご紹介に与る匠石、一般に匠は大工だがこの人は名前が石なので石斬り職人、彼のエモノとする斤は日常の仕事道具で鼻化粧のアクもわざわざ仕入れる手間がいらない、この人もまた匠石運斤成風といった派手な登場、運の原義は回転運行で周期的に回転する星座や惑星の運行を言うにはぴったりの語、運斤はわざとらしく斤をぶん回して見せつける危険行為のパフォーマンス、斤をふりまわし風をおこしでは二つの動作のようになるので斤をまわすと風をなしとげたと訓んだ、以上は大道芸のなんだかよくわからないが無闇に煽り立てる例の雰囲気を醸し出そうとする文学表現。聽而斲之の聴きてはこの芸人ふたりのあいだで掛け声を交わすことだが、実は郢人のほうがこの芸の主体なので実質的には郢人の指示を匠石が聴いているということ、劇中劇の最後にある種明かしのための布石。宋元君は前6世紀後期の宋国の元公とされる、これの他にも『荘子』にいくつか出演作がある好事家キャラクターの君主。嘗試為寡人為之の嘗試はこの二字でためしにの意、二つある為の字の前者は使役の助字で訓んでもいい、寡人のタメにではない、ココロミにタメにでは何がためしになのかわからない、ここはひとつものはためしに自分の鼻でという驚きの申し出である。そこで匠石は中途半端におざなりでは済まされない窮地に立たされ、正直に自分は何の芸もない平凡な職人にすぎないと白状するしかなくなる、今度は宋元君のほうが驚かされて肝を冷やすどんでん返しの種明かしである。さてその種明かしを語る文は臣則嘗能斲之 雖然 臣之質死久矣となっている、暗に郢人の死を報告していることは古来あやまりなく読み取られてきたが、ここの質の字は諸説あって定まらないらしい、しかしストーリー上は資質のつもりで言われたに決まっている、相方である郢人の死を匠石のほうの資質が死んだと表現したのである、これは宋元君の物好きな申し出に対しても匠石にはもうお殿様の鼻端に斤を振り下ろす資質がなくなったと答えているので妥当、また前出の聽而斲之という怪訝な段取りで二人の芸の主体である郢人の指示に従っていたことをほのめかしているから匠石の芸の資質を引き出していた郢人の死が言われていることもわかる、そしてそれを理由として宋元君に固く辞しているから郢人が亡くなってしまうと匠石のほうはなんにもできない凡人なのだということも判明する、また芸の相方を務めてきたプライドからそこまでは自分を卑下したくないという匠石の心情も忖度できるから匠石のほうの資質が死んだという言い回しは物の言いかたとして絶妙、さらにここは種明かしのくだりとして簡明第一なので手短に言いたいところ、ちなみに臣之質の之は強意の助字、ところが質という語はこのころの政治向きには第一に人質のことでありまた庶民一般にとっては第一に人目を避けつつ質屋へ通う語感がある、つまり興業の相方だった郢人を当座の金になる質草だったかのようについ言ってしまった、たとえ意味は通りやすくとも普段の暮らしぶりが疑われるそんな恥づかしい言葉を国君の前で使わせることによって本当に石を斬り出す職業技能の他は無才の粗野愚鈍なおぢさんを描いてこの劇中笑劇にユーモアを添えている。続いて荘子劇に切り替わって劇中劇の命題を反復する、夫子は恵子を敬称した、吾無以為質矣は恵子が墓に隠れたので質草にするものがなくなったと恨んでいる冗談、もちろん荘子にとっては恵子が郢人のような引き出し役だったという追慕、吾無與言之矣は以上のような会心の弔辞を思い付いたがもう恵子の反応が確かめられないとしみじみ惜しい友の死を悼む)

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