『荘子』内篇逍遙遊篇.6
魏王貽我 もう少し訓下し

 «逍遙遊篇 6 - 註解»
 恵子(けいし)、荘子(さうし)に謂(い)ひて曰(いは)く、魏王(ギわう)、我(われ)に大瓠(たいこ)の種(たね)を貽(のこ)したり、我(わ)れ之(これ)を樹(う)うるに、成(な)りて実(みの)るに五石(ごせき)、以(もつ)て水(みづ)に盛(も)り漿(しやう)とするも堅(かた)し、自(みづか)ら挙(あ)ぐる能(あた)はず、之を剖(ひら)き瓢(へう、=柄杓、ひしゃく)とせんも、則(すなは)ち瓠落(こらく、=この瓠落の瓠は柄杓の頭のくりぬいた凹み部分、スプーンの先、そんな柄杓は頭部の重みですぐ折れるから柄だけが手に残る、柄杓の柄に容るる所なし。この恵子の発想は荘子を笑わせる、最終段参照)し容(い)るる所(ところ)(な)し、咢然(がくぜん)たりし大(だい)ならざるに非(あら)じ、吾(わ)れ用(よう)(な)しとして之を掊(うちわ)りたり。
 荘子曰く、夫子(ふうし)(もと)より大を用(もち)ふるに拙(つたな)きのみ、
 宋人(ソウひと)に善(よ)く不亀手(ふきしゅ、=亀手はあかぎれ、不亀手の薬はひびわれ薬)の薬を為(つく)る者(もの)(あ)り、世世(よよ、=代々)(くわう、=わた)を洴澼(へいへき、=さらす)するを以て事(こと、=仕事)と為(な)す、
 客(かく)之を聞(き)き、其(そ)の方(はう、=薬ではなく薬の製造法)に百金(ひゃっきん)を買(あがな)はんと請(こ)へり、
 族(ぞく)を聚(あつ)めて謀(はか)りて曰く、我(わ)れ世世絖を洴澼するを為(な)すも、数金(すうきん)を過(す、=数金を過ぎずは数金以上だが大きくは超えない)ぎず、今(いま)一朝(いつてう)にして技(わざ)を百金に鬻(ひさ、=かんたんに言えば売ることだが、たぶんこの字は自家のものを売払うこと)ぐ、請(こ、=意志、真情を口で言う)ふ之を与(あた)へん、
 客之を得(え)、以て呉王(ゴわう)に説(と、=遊説)く、
 越(ヱツ)、難(なん)を有(も)つ、呉王、之(これ、=宋からの説客)をして将(しやう)たらしむ、冬(ふゆ)、越人(ヱツひと)と水戦(すゐせん)し、大(おほ)いに越人を敗(やぶ、=冬の水戦であかぎれ薬が役立ち勝敗を分けた)るに、地(ち)を裂(さ)きて之を封(ほう、=大功により宋からの説客を一国一城の諸侯に昇進させた)ず、
 不亀手を能(よ、=堪能、技芸に秀でる)くするは一(いつ、=同一)なるに、或(あるひ)は封(ほう)を以(もつ)てし、或は絖を洴澼するを免(まぬか)れず、則(すなは)ち用(もち)ふる所の異(こと、=特異、秀でる)なればなり、
 今、子(し)に五石の瓠(こ)(あ)り、何(なん)ぞ以て大樽(だいそん)に為(つく)りて江湖(かうこ、=楚国の長江と洞庭湖。大瓠の樽に楚国から分捕った戦利宝物をいっぱい詰め込んで運搬するという一例)に浮(う)かぶるを慮(おもんばか、=この場合は国益のための遠謀深慮、初めに恵子拙しとした大なる国策)らずして其の瓠落し容るる所無きを憂(うれ)えん、則ち夫子猶(な)ほ蓬(ほう、=よもぎだが、ここは草むらの意、雑草ぼうぼうで道も見えなくなっているという比喩)の心(こころ)有るかな。
(=梁恵王が死に際して恵子に遺した謎なぞのような大瓠の種、はたして恵子に魏王の遺志が汲み取れるのか。魏王貽の貽はここでは形見を遺す、たんに贈ったのではない、なぜなら魏王我れに贈るとはお偉い恵子でも言えない、大瓠はもちろん逍遙遊篇なので空想上の誇大に誇張した瓜。続く原文、「我樹之成而實五石以盛水漿其堅不能自舉也」は諸説紛々の難読文、しかし瓜の常識的な使いみちになんで諸説百出か、成は樹の成長、實は実を結ぶという動詞の副詞用法、五石はよくわからないが大きい容量、以盛水は五石とはいっても瓜には違いないので水に入れて冷やすに決まっている、漿其堅の漿は瓜でもスイカでもメロンでもあの水っぽい果肉、ここはその名詞の動詞化、将の字の用法に準じる、さらにここはそれの副詞用法、ここの其は訓まない助字あるいは甚の略字か誤写、堅はせっかく水で冷やしたのにカタくて食えない、不能自舉也は持ち上げるの意味にとられがちだがそれは含意、この句の第一義は自ら推挙する能はず、今っぽい言い方をすると自分的にはオススメできない噛み心地だというネガティブ評価。非不呺然大也は回りくどい言い回し、まさに回りくどいことを言いたいため、呺然は咢然で愕然の意、呺の字はたぶん書写の際に咢の字を見誤った、しかし悲しみを咆哮するの意で造語しようとした可能性もある、咢然大は口をあんぐりするほどの大きさ、不咢然大となると大きさに口をあんぐりしない、非不呺然大也は大きさは見掛け倒しだが役立たずすぎることに愕然とさせられる。次句の其も訓まない助字。荘子の謎解きに進んで、夫子固拙於用大矣の用大は天下国家の大事案大問題に頭を使う、もとよりヘリクツ論理学派の恵子には専門外。ところで恵子は魏王に大瓠の種を遺されたのだが、その大瓠の種の意味に首をひねっているわけではない、領地ならざる種だったことが不満なのであり、荘子が見透かしているように欲を言えば封地されて諸侯になりたかったのである。さて意外に荘子のたとえ話は夫子も説客ならばちょっとは国策を説けという苦言が結論、なぜなら上で触れたように夫子は大を用いるに不器量と前置きしている。そう前置きしていながらたとえ話は大の用途ではない、この落差は則所用之異也というたとえ話の結びの句の異の字で解消される、用い所が素晴らしく違っているとは宋の説客の立ち回りかたを褒める、彼は取るに足らないような技法でもすぐさま国策という大に用いようとして諸侯に説きに行く、説客ならば当然だが、恵子のほうは同じ説客でありながら、しかも魏王のもとですでに宰相だったというのに、憂其瓠落無所容が関の山なのであった)

inserted by FC2 system