『魏惠王死す』
第1段

 『魏惠王死』─第1段.

 魏惠王死 葬有日矣 天大雨雪 至於半月 壞城郭 且為棧道而葬 群臣多諫太子者 曰 雪甚如此而喪行 民必甚病之 官費又恐不給 請弛期更日 太子曰 為人子 而以民勞與官費用之故 而不行先王之葬 不義也 子勿復言 群臣皆不敢言 而以告犀首 犀首曰 吾未有以言之也 是其唯惠公乎 請告惠公 
 『魏の恵王死し、葬に日を有(かぎ)る。天大いに雪を雨(ふ)らすに、半月(はんげつ)に至り、城郭を壊つ。且(まさ)に桟道を為(つく)りて葬せんとす。群臣多(とく)に太子を諫むる者、曰く、雪ふるに甚だしきこと此(かく)の如くなるも喪行(さうかう)す、民は必ず甚だ之に病(くるし)まん、官費も又給(た)らざるを恐る、請ふ期を弛め日を更めん。太子曰く、人の子為(た)るに民の労と官の費用との故を以てして先王の葬を行はざること不義なり、子復た言ふ勿(なか)れ。群臣皆敢て言はざるも、以て犀首に告ぐ。犀首曰く、吾れ未だ之に言ふの以(ゆゑ)を有(も)たざるなり、是れ唯だ恵公か、請ふ恵公に告げん。』


 とくに儒教書『孟子』で有名な梁恵王こと魏国の恵王も墓所に骨を埋葬される残念なご遺体となり、慣例に則って葬儀の日取りも決まった。
 折しも白く清らな雪がしめやかに降り始め、詩情豊かな小雪舞う中での葬送を人々は思い浮かべたが、たちまち豪雪になり、半月以上も降りつづいて、都をぐるりと囲む城壁が雪の重みで崩れだすほど積もってしまった。
 それでも太子は頑なに期日どおり葬儀を執り行うと決め、この身動きもままならないなか、積雪の上に葬列のための板敷を墓所まで延々と渡すような難しい土木事業さえ言い出す。
 もちろん群臣の大多数はそんな難事業になる葬儀の強行に反対し、中でも強く反対する者ははっきりと太子に直言して、この身動きもままならないなか、土木工事に駆り出される民が可哀相であり、そしてまた国庫もそんな出費には耐えられない、なんとしても先王の葬儀は日を繰り延べて雪融けまで待ってほしいと訴えた。
 ところが太子は聴き入れない。国の太子といっても人の子、先王の葬儀も行わなかったという親不孝だけは許されない、たとえ民の暮らしや国の財政が壊滅しようと、このことだけは自分の思い通りにさせてほしいの一点張り、そしてこれ以上の話は無用だとさえ突っぱねる。
 太子の孝心が試されていると言われると、もう群臣一同の手に負えない、しかし手をこまぬいていては先王の葬儀ひとつのことで国が危うくなりかねない、そこで世に名高い説客の犀首こと公孫衍に相談し、太子をうまく説得してもらうことにした。
 ところが犀首も話を聞くと難しい顔になり、説得役を辞退した。儒学の極端な原理主義者のように国の利害得失も度外視で親孝行を尽くすというのであれば、もはやどれほどの遊説家でも歯が立ちそうになかったのである。ただし彼はさすがに世間が広く、こうした場合に打ってつけの人物を知っていた。ヘリクツ学者の恵子である。さっそく彼は群臣の相談の件を恵公殿に取り次いだ。

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