『魏惠王死す』
訓み下し文

 第1段.
 魏の恵王死し、葬に日を有(かぎ)る。天大いに雪を雨(ふ)らすに、半月(はんげつ)に至り、城郭を壊つ。且(まさ)に桟道を為(つく)りて葬せんとす。群臣多(とく)に太子を諫むる者、曰く、雪ふるに甚だしきこと此(かく)の如くなるも喪行(さうかう)す、民は必ず甚だ之に病(くるし)まん、官費も又給(た)らざるを恐る、請ふ期を弛め日を更めん。太子曰く、人の子為(た)るに民の労と官の費用との故を以てして先王の葬を行はざること不義なり、子復た言ふ勿(なか)れ。群臣皆敢て言はざるも、以て犀首に告ぐ。犀首曰く、吾れ未だ之に言ふの以(ゆゑ)を有(も)たざるなり、是れ唯だ恵公か、請ふ恵公に告げん。
 第2段.
 恵公曰く、諾。駕して太子に見えて曰く、葬に日を有(かぎ)る。太子曰く、然り。恵公曰く、昔、王季歷の楚山の尾(すそ)に於ての葬に、灓水(らんすゐ)、其の墓を噛み、棺の前和(ふた)を見(あらは)す。文王曰く、嘻(ああ)、先君必ずや群臣百姓に一見せんと欲するかな、故に灓水をして之を見(あらは)さしめん、是(ここ)に於て出(いだ)して之が為に朝を張る、百姓皆之に見(まみ)える、三日(みか)して後(のち)葬を更む、此れ文王の義なり、今、葬に日を有(かぎ)る、而るに雪ふること甚だしく、半月に及び、行(かう)には難(かた)かるに、太子日に及ばんが故の為に亟(と)く葬せんと欲するに嫌(いと)ふ毋(な)きを得んか、願はくは太子日を更めん、先王必ずや少(すこ)し留(とど)まりて社稷を扶(たす)け黔首を安んぜんと欲し、故に雪をして甚だしからしめん、因りて期を弛めて更め日を為(まうく)ること、此れ文王の義なり、若(も)し此(か)くとても為さざるは、意(こころ)する者文王に法(なら)ふを羞(は)づるか。太子曰く、甚だ善し、敬んで期を弛め、更め日を択ばん。
 第3段.
 恵子は徒(ありがち)に其の説を行ふのみ、又、魏太子をして未だ其の先王を葬させざるのみ、而して因りて又、文王の義を説くのみにも非ざるなり。文王の義を説き、以て天下に示すこと、豈に小功ならんかな。

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