『魏惠王死す』
解題

 強引な屁理屈で鍛え上げた弁術は誰にも負けない──『荘子』書の思想家である恵施が活躍する一話です。
 梁恵王の葬儀の予定日を目前にひどい大雪、それなのに孝の徳義にとらわれて期日通り強行するという無茶な太子。儒教義による閉塞感の暗雲を恵子の自由闊達な口が吹き飛ばす「魏恵王死す」。
 この一編の主役である恵施については『荘子』天下篇がその人物評を特記しています。ただしそれは恵施の思想にだけ着目し、歴史上の評価という観点を欠くものでした。
 もとより『戦国策』や『荘子』に描かれる恵施は漢代文学のキャラクターでしかないので、その思想だけを取り上げる論じ方は至極当然だったかもしれません。
 恵施の歴史的な評価は近代以降の研究が引き受けることになりました。その思想は天下篇にいうとおり詭弁に他ならないが、裏返せば論理学を発達させるという思想史上の功績もあった、と認定されるに至ります。
 ところで恵施というキャラクターの描き方を『戦国策』と『荘子』で比べてみると、『戦国策』では単体で起用されて主役を務める一方、『荘子』では主役である荘周の相方としてツッコミ役を引き立てる脇役に徹しています。
 すると、恵施は『荘子』から『戦国策』に抜擢されたのか、それとも『戦国策』から『荘子』に借用されたのか。あるいは──これをこれ物化と謂ふ...
 また、『戦国策』全編の中で恵施というキャラクターを相対的に見直すと、ひねくれ論理学者になった事情が呑み込めるかもしれません。
 一般に『戦国策』といえば戦国遊説家の奇抜な言論を取りまとめた書として知られます。
 しかし遊説家を必ず登場させるという決まりがあるわけではありません。実際に、遊説家の登場は馬陵の戦い以降、あるいは梁恵王以降の時期を舞台とする作品に限られます。
 西暦で言うと、前300年代の中期以降、もしくは前320年以降であり、ほとんど戦国時代も後半のことです。
 一方で、『戦国策』には戦国時代前半を舞台とする作品も多く収録され、そこにも新奇な言論を弁ずる説者が登場します。
 厳密に言えば、戦国前半期の彼らは遊説家ではありません。彼らは諸侯に仕える臣下であり、戦国時代より前の春秋封建体制の陪臣と何ら違わないのです。
 周王朝衰微後の東周時代が春秋と戦国に区分されることから、近現代における研究は春秋時代と戦国時代の性格の違いを説明したがるようになりました。
 たとえば、西周時代から春秋時代にかけて、周王朝に倣って諸侯も家臣を土地分配で雇った結果、戦国時代には分け与える土地がなくなり、金銭俸禄で雇用することが始まり、そのせいで戦国時代らしい主従関係の流動性が発生したと説明しています。
 しかしそれは人為的な時代区分法に現実の歴史を押し込めようとしてしまう反則でしかありません。
 実際には、戦国時代前半の言論人たちは三晋分裂という歴史事件を体験した以外は春秋時代の知識人たちと少しも変わらなかったはずです。
 さて、恵施というキャラクターを歴史上に位置付けてみると、宋国の人で魏国恵王に仕えた彼は張儀や蘇秦に代表されるいわゆる遊説家とは性格が異なります。
 この一編においても、遊説家の犀首(公孫衍)がしりごみしている問題を恵施のほうは難なく解決してしまうのでした。
 かと言って、彼を春秋封建的な思想家に分類することはさらに無理です。
 すると封建徳義思想から戦国自由思想への橋渡しが恵施というキャラクターの役どころだったということになるのでしょうか。
 近現代の歴史観では封建体制の秩序と戦国期の混沌が整然と交互に出現するかのように言われがちです。
 しかし現実には封建時代にも下剋上的なカオスが内在し、戦国時代にも封建時代劇の美徳がしぶとく生き残っていないでしょうか。
 封建色と戦国色という時代性の違いは比率の問題なのかもしれません。

Jan 27, 2019 - サイト管理人

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