『魏惠王死す』
現代日本語訳

Sengokusaku_Keishi 3

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 とくに儒教書『孟子』で有名な梁恵王こと魏国の恵王も墓所に骨を埋葬される残念なご遺体となり、慣例に則って葬儀の日取りも決まった。
 折しも白く清らな雪がしめやかに降り始め、詩情豊かな小雪舞う中での葬送を人々は思い浮かべたが、たちまち豪雪になり、半月以上も降りつづいて、都をぐるりと囲む城壁が雪の重みで崩れだすほど積もってしまった。
 それでも太子は頑なに期日どおり葬儀を執り行うと決め、この身動きもままならないなか、積雪の上に葬列のための板敷を墓所まで延々と渡すような難しい土木事業さえ言い出す。
 もちろん群臣の大多数はそんな難事業になる葬儀の強行に反対し、中でも強く反対する者ははっきりと太子に直言して、この身動きもままならないなか、土木工事に駆り出される民が可哀相であり、そしてまた国庫もそんな出費には耐えられない、なんとしても先王の葬儀は日を繰り延べて雪融けまで待ってほしいと訴えた。
 ところが太子は聴き入れない。国の太子といっても人の子、先王の葬儀も行わなかったという親不孝だけは許されない、たとえ民の暮らしや国の財政が壊滅しようと、このことだけは自分の思い通りにさせてほしいの一点張り、そしてこれ以上の話は無用だとさえ突っぱねる。
 太子の孝心が試されていると言われると、もう群臣一同の手に負えない、しかし手をこまぬいていては先王の葬儀ひとつのことで国が危うくなりかねない、そこで世に名高い説客の犀首こと公孫衍に相談し、太子をうまく説得してもらうことにした。
 ところが犀首も話を聞くと難しい顔になり、説得役を辞退した。儒学の極端な原理主義者のように国の利害得失も度外視で親孝行を尽くすというのであれば、もはやどれほどの遊説家でも歯が立ちそうになかったのである。ただし彼はさすがに世間が広く、こうした場合に打ってつけの人物を知っていた。ヘリクツ学者の恵子である。さっそく彼は群臣の相談の件を恵公殿に取り次いだ。
 2
 さすがに犀首からも恵公しかいないと持ち上げられる恵子、「ふむふむ、なるほど、あい承知した」。事もなげにこの難題を引き受け、馬に乗って一歩づつ積雪を踏みしめながら太子のもとにたどり着くと、気楽な世間話のように語りかけた。「葬儀の期日ももう間もなくでございますな」
 「そうだな」太子の態度はけんもほろろ。口のうまい恵子に丸めこまれることを警戒しているのである。
 そんな太子の心の殻を承知の上で恵子の話術が始まった。「葬儀といえば、むかしむかし、周の先祖の王季歴の葬儀も珍しい事態に見舞われたとか。王季歴は楚山のふもとに葬られたのでございますが、ちょうど灓水があふれだしまして、土砂を押し流し、楚山のすそも崩して、王季歴の棺の蓋を地表に露出させました。すると周の文王はこうおっしゃったのです、ああ、そうか、これは先君が最後に群臣百姓に今一度お会いになりたいと思し召したのだろう、だから灓水の流れをあふれさせて地中からお出ましになられたのだなと。そこで棺桶を掘り起こし、その場で仮の朝廷を催しまして、臣下百官がひとりのこらずもう一度その棺と最後の対面を済ませ、そして三日後にあらためて埋葬したということです。これが言ってみれば文王の対処法でした。ときにただ今、先王のご葬儀の期日ももう間もなくですが、あいにく酷い雪が半月も続き、葬儀の期日を迎えましても執り行うことは難しくなっております。太子さまは期日が迫っているという理由のせいで、無理にでも葬儀を敢行しようと雄々しくご決断なされたのでございましょうか。しかしながらご葬儀の期日を先に延ばしてくださるよう願います、なにしろこれは先王が今少しとどまって国家を豊かにし人民を安楽にしようと思し召したための珍しい事態、だから雪をこんなにあふれさせたのでございます。こうした場合に予定を緩めて後日にすることは文王の先例がございましたな。それでもなお期日を延ばすことがお出来にならないとなりますと、もしや文王に続くことに気後れがございますのでしょうか」
 恵子の話が終わると、太子の目は感激の涙でキラキラ輝いていた。「まことに素晴らしい話だ、ぜひとも期日を延ばそう」
 3
 さて恵子の活躍を振り返ってみると、彼は独自の説を成しているというだけでもなく、魏太子に無茶な葬儀を思いとどまらせることがただひとり出来たというだけでもなく、もちろん彼だけが文王の徳義を称えているのでもない。かつて一度たりと語られることのなかったむかしむかしの周文王の未知なる故事を初めて天下に知らしめた、そこが何より素晴らしくはないか。

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