『荘子』内篇逍遙遊篇.7
吾有大樹 もう少し訓下し

 «逍遙遊篇 7 - 註解»
 恵子(けいし)、荘子(さうし)に謂(い)ひて曰(いは)く、吾(われ)に大樹(たいじゅ)(あ)り、人(ひと)(これ)を樗(ちょ)と謂ふ、其(そ)の大本(たいほん)は擁腫(ようしょう)して縄墨(じょうぼく)に中(あた)らず、其の小枝(せうし)は巻曲(けんきょく)して規矩(きく)に中らず、之を塗(みち)に立(た)つるも、匠者(しやうしゃ)(かへり)みず、今(いま)、子(し)の言(げん)、大(だい)なるも用(もち)ひらるること無(な)し、衆(しゅう)の同(とも)に去(さ)くる所(ところ)なり。
 荘子曰く、子(し)(とく、=特に、独特)に狸狌(りせい)を見(み)ずや、身(み)を卑(いや)しめて伏(ふ)し、候(うかが)ふを以(もつ)て敖(あそ)びなば、東西(とうざい)に跳梁(てうりやう)し、高下(かうげ)を避(さ)けず、機辟(きへき)に中(あた)り、罔罟(まうこ)に死(し)す、
 今(いま)、夫(か)の斄牛(らいぎう)、其(そ)の大(だい)なるは垂天(すゐてん)の雲(くも)の若(ごと)し、此(こ)れ能(よ)く大を為(な)す、而(しか)るに鼠(ねずみ)を執(とら)ふる能(あた)はず、
 今、子に大樹(たいじゅ)有るに、其の用(もち)ひ無(な)きを患(わづら)ふ、何(なん)ぞ之(これ)を有(かぎ、=有限)りを何(お、=荷、になう、背負う)ふ無きの郷(さと)、広莫(くわうばく)の野(や)に樹(た)て、彷徨乎(ほうくわうこ)として其の側(かたは)らに為(な)す無く、逍遙乎(せうえうこ)として其の下(もと)に寝臥(しんぐわ)せざる、
 斤斧(きんぷ)に夭(えう)せず、害(がい)さるる無き物(もの)なれば、用ひらる可(べ)き所(ところ)無きも、安(いづく)んぞ困苦(こんく)する所かな。
(=逍遙遊篇のこの章は意外に人情味が隠れている友情話である。前段、恵子による議題提示は荘子を徹底して大樹にたとえる。其大本擁腫而不中繩墨 其小枝卷曲而不中規矩、この部分は後文で荘子に切り返されるのだが、荘子の性根が悪性腫瘍で不遜に膨れ上がり、言う事がひん曲がっているというたとえ。立之塗の塗は途のことで大樹を人目に付く路上に立てる意だが、ぬかるんだ塗の字を用い、田舎暮らしの農作業で荘子が泥にまみれていると形容する。そこで続く匠者不顧は字面の意味の裏に、そんな薄汚れた見苦しい土まみれでは材を用いる者つまり諸侯に推薦しても相手にされないという愚痴が隠されている。後段、荘子の反論。子獨不見狸狌乎の独はひとりと訓んでもいいがとりわけての意、狸狌はタヌキとイタチだが宮仕えの恵子を言った。卑身而伏 以候敖者は後のほうの句が難しく正しい解釈を見ない、ここでは最もすなおな理解を期した、候は斥候の候、敖者は遊ぶ者であり人間ならば傲慢、そこで卑身而伏 以候敖者はいつも警戒心強く身を低くしている政官界のタヌキやイタチも安全が確認できて好き放題やりだすとという意味。東西跳梁の東西は東の斉国と西の秦国、また東奔西走の含み、跳梁の梁は恵子の仕える魏王の国や都、跳梁は跳梁跋扈の跳梁。中於機辟 死於罔罟は最初に出た恵子の揶揄に切り返した、人間の作った道具や物差しに当てはまるとは罠にかかって死ぬことだと言い返している。斄牛は恵子の樗という樹木名に対応する大言壮語、らいぎゅうという牛、伝によれば天空から垂れる雲かと見紛うばかりデカい、出典は鳳や鯤も登場する『荘子』逍遙遊篇。鼠を執へずは諸侯大人という意だった前出の衆を鼠と見なして一蹴した。今子有大樹 患其無用、この用だけではなくこの章の用の字はすべて諸侯に用いられるの意を含みとする、恵子に大樹ありその用ひ無きを患ふはデキる奴なのにまったく仕官しようともしない郷里の親友を気に病んでいる優しさ、荘子も口の悪い親友の真情はわかっているという含意がある。後文は都に出て大出世して心が疲弊した旧友の帰郷を鄙びたおおらかさで暖かく迎えようとする里人のねぎらい、思想家同士なので難しそうな語で言っているが、要はせせこましい都の宮仕えは一時忘れてゆっくりして行けやという話。無何有之鄉は何も有ることの無い郷ではない、この何は背負い込むという動詞、荷の動詞形である、有は無の対義語で限りを持ってしまったもの、ここの何有は有限をしょい込むこと、籠の鳥になること、無何有之鄉はそうした有限を背負い込まない無限境地で老荘思想に言う道だが狭苦しい都に対するだだっ広い田舎でたとえた、恵子の帰郷と荘子の田舎暮らしが含意。同義である廣莫之野は地平線が望めるようなひらけた下俗、野は野に下るの野、風通しの悪い政官界の対義語。続く彷徨乎無為其側 逍遙乎寢臥其下まで、平たく言えばオレのことはこのまま放って置いてくれ、それよりお前こそせっかくの里帰りなんだからゆっくり骨休めしろよという気遣い。次から結文。不夭斤斧、斤斧は例の匠者のお眼鏡にかなって伐採される、君主に刑せられるが含意。物無害者、害は野党のタヌキやイタチから嫉まれ害される。無官の貧乏暮らしを心配してくれるより、本当はお前こそそうした仕官の災いに取り囲まれた立場なんだぜと忠告している。さて全体を通読すると、この章は荘子哲学が友情を語っているのではなく、ありがちな友情ドラマを荘子哲学の用語で描いてみたというパロディ小説である。もちろん制作は荘子哲学めいたものがほぼ確立された前漢初期よりも後ということになる)

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