『恵施の逆転覇王道』
前段

 『齊魏戰於馬陵』─前段

 齊魏戰於馬陵 齊大勝魏 殺太子申 覆十萬之軍 魏王召惠施而告之曰 夫齊寡人之讎也 怨之至死不忘 國雖小 吾常欲悉起兵而攻之 何如 對曰 不可 臣聞之 王者得度 而霸者知計 今王所以告臣者 疏於度而遠於計 王固先屬怨於趙 而後與齊戰 今戰不勝 國無守戰之備 王又欲悉起而攻齊 此非臣之所謂也 王若欲報齊乎 則不如固變服折節而朝齊 楚王必怒矣 王游人而合其鬭 則楚必伐齊 以休楚而伐罷齊 則必為楚禽矣 是王以楚毀齊也 魏王曰 善 乃使人報於齊 願臣畜而朝
 「斉、魏、馬陵に戦ふ。斉、大いに魏に勝ち、太子申を殺し、十万の軍を覆(くつがへ)す。魏王、惠施を召して之に告げて曰く、夫(そ)れ斉は寡人の讎(あだ)なり、之を怨むこと死に至るまで忘れじ、国小なりと雖(いへど)も、吾れ悉(ことごと)く兵を起こして之を攻めんと常(つね)に欲す、何如(いかん)。対(こた)へて曰く、不可なり、臣之を聞く、王者は度(ほど)を得(こころ)え、而して霸者は計らふを知る、今、王の臣に告ぐる所以(ゆゑん)の者、度(ど)に疏(うと)くして計(けい)に遠し、王、固(もと)より先に怨みを趙に属(つ)け、而る後に斉と戦ふ、今、戦ひ勝たず、国に守る戦ふの備(そな)へ無し、王また悉く起こして斉を攻めんと欲するは、此れ臣の謂ふ所に非ざるなり、王、若(も)しくは斉に報いんと欲するか、則ち固より服に変じ節に折(かが)みて斉に朝するには如(し)かず、楚王必ず怒らん、王、游(あそ)ぶ人にして其(そ)の闘(とう)に合(むすびあ)へば、則ち楚必ず斉を伐たん、休める楚を以てして罷(つか)れたる斉を伐たば、則ち必ず楚の禽(とりこ)と為(な)らん、是(こ)れ王の楚を以て斉を毀(こぼ)つなり。魏王曰く、善(よ)し。乃(すなは)ち人をして斉に報(ほう)ぜしむらく、願(ねが)はくは臣畜として朝せん。」


 (斉と魏が決戦した馬陵。またも斉が圧倒的に魏を破り、太子の申を殺し、十万の大軍勢を葬り去った。
 再度の不名誉、兵十万の亡失、そして跡継ぎの犬死に。屈辱と悲嘆に沈んだ魏王は左右の者へ話しかける声も小さい。
 「わが国で最も知恵者といえば誰だろう?」
 「知恵者でよろしいのですか? そういうご質問であれば恵施さま以外の名を挙げる者はおりませんでしょう」
 「恵施なのか? ふむ、まあいい。ではその恵施さまを呼んで参れ」)
 魏王は重い声で忿怒のたかぶりを抑え込みながら恵施に告げるのだった。
 「あの斉の国はわたくしの憎しみだ。これほどの怨みは眼が黒いうちは忘れるものではない。わが国はこうまで弱小だが、わたしはやれる限りは兵を送り出してあれをやっつけねばならんのだ。さてどうやる?」
 しかし恵施は彼らしく相手の話が始まる前から首を横に振っていた。そして魏王の話のしっぽに連結させて、開口一番、あまりにあたりまえのことだが反対した。
 「いいえ、いけません。──そうですな、わたくしは王者と覇者については次のように教わってきました、王者は適度に致すことを心得ているもので、覇者は取り計らうことをよく知っているものでございます。そこで...わが王のお気持ちをおとなしく微動だにせず傾聴いたしておりましたが、王者の適度でもなく覇者の取り計らいにも遠すぎると言わねばなりません。わが王はそもそも持ってお生まれのご性分なのか、初めは趙氏のほうに怨みを結び付けておいででしたのに後では斉の国と斬り結んでおしまいになる、そして戦いははかばかしく参らずわが国では兵士の姿が消えました、それなのにまだわが王はやれる限り何かしらを送り出してやっつけてやると仰せになる、これは破滅を急ぐというのでしょうか、わたくしの申しております王覇の道ではございません。ところでわが王は斉を攻めたいとのお考えのようですが、まことのお心は斉の連中に仕返しなさりたいのではありませんか? しかしそれには、敵を征服したいというお気持ちではなく状況に服従するという心掛けにお変わりになり、はかばかしくない時節には逆らわず身を低くして、いっそのこと斉の国に降参しておしまいになるべきです、貢ぎ物を手にしてわが王ご自身でご挨拶に参られればなお良いでしょう、いえ、これこそまさに王者の道というものです。さて、そうすると間違いなく楚王が怒りだします。わが王はなにもせっせと国力を消耗することなどありません、もう血なまぐさいことからは隠居したお顔をなさって、血気盛んな南蛮王の闘魂を陰から激励してさしあげることです、間違いなく楚王は憎しみ募る斉に挑みかかるでしょう、ここ最近おとなしく兵力温存していた楚が戦いに疲れた斉を伐てば結果は言うまでもありません、それはわが王が楚をうまく使って斉をやっつけてやったということになるとは思われませんか?」
 魏王は眼を輝かせていた。
 「おお、まさに、それが王覇の道というものだ」
 さっそく使者を斉に送り出し、恵施の提案どおりに申し入れさせ、王者として他国に従属することになり、覇者として自分では戦わないことになった。

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