『恵施の逆転覇王道』
もっと訓み下し

 前段.
 斉(セイ)、魏(ギ)、馬陵(バリョウ)に戦(たたか)ふ。斉、大(おほ)いに魏に勝ち、太子(たいし)(シン)を殺(ころ)し、十万(じふまん)の軍(ぐん)を覆(くつがへ)す。
(=第1段落は序段、叙述文による予備説明、先行した他の諸作品からの受け売りの感がある、おそらく後人が挿入したもの。冒頭文の齊魏戰於馬陵は語法が比較的自由。太子申、この申という名前は古い作品ではほぼ明記されない。覆十萬之軍、覆の字には主におおうとひっくりかえすの二義があり、どちらにしろ隠す、無くす、台無しにするという意味合いがある、覆面、転覆、覆水盆に返らず、ここは大軍をひっくり返して元に戻らなくした)
 魏王、惠施(ケイシ)を召(め)して之(これ)に告(つ)げて曰(いは)く、夫(そ、=発語)れ斉は寡人(くわじん、=謙譲一人称)の讎(あだ、=仇敵、復讐対象)なり、之(これ)を怨(うら)むこと死に至るまで忘れじ、国(くに)(せう、=この魏王の自称する小国は謙遜)なりと雖(いへど)も、吾(わ)れ悉(ことごと)く兵(へい)を起こして之(これ)を攻(せ)めんと常(つね)に欲(ほつ)す、何如(いかん、=いかに)
(=第2段落は前段の導入部。惠施の登場が見どころ。他のページですでに攻略した先行作品はこの役を公孫衍に演じさせる。その一編と文字数は大差、この作品では論理性とわかりやすさが重視されている。そして論理的な作風なので論理学派とされる惠施を引っ張り出した。惠施については『荘子』の人物であり、非常に詳しい伝があるものの、それでも実在か架空かはなお不明。召すは目下を呼びつける、この魏王から見れば誰でも目下になるが、臣下になっていなければそもそも召すことができないから、ここは惠施が梁恵王の宰相だったという伝承に拠っている。吾常欲悉起兵而攻之、この文だけで見ると常の字が疑問だが、この常は尋常の常でもあり、復讐して当然という主張にもなっている他、尋も常も長さの単位だったので、次に惠施の語る主題を引き出す導入部にはふさわしい用語なのかもしれない。悉は悉皆や知悉と使われ、尽と同様にことごとくと訓まれる、悉のほうはきわめつくす、行き着くとことろまで行くという意味、尽のほうは無くなるまで残らずの意味、ここの悉くは死に至るまで忘れじを受けた破滅型の意気込み、やれる限りはやってやるの意、国民を根こそぎ出し尽くす意ではない。兵を起こすは徴兵ではなく派兵)
 対(こた)へて曰く、不可(ふか)なり、臣(しん)(これ)を聞く、王者(わうじゃ)は度(ほど)を得(こころ)え、而(しか)して霸者(はしゃ)は計(はか)らふを知る、今(いま)、王の臣に告(つ)ぐる所以(ゆゑん)の者(もの)、度(ど)に疏(うと)くして計(けい)に遠(とほ)し、王、固(もと)より先(さき)に怨(うら)みを趙(テウ)に属(つ)け、而(しか)る後(のち)に斉と戦ふ、今、戦ひ勝たず、国に守る戦ふの備(そな)へ無(な)し、王また悉く起こして斉を攻めんと欲するは、此(これ)れ臣の謂(い)ふ所(ところ)に非(あら)ざるなり、王、若(も)しくは斉に報(むく)いんと欲するか、則(すなは)ち固(もと)より服(ふく、=屈服)に変(へん)じ節(せつ、=時節、曲折した時節、変調期)に折(かが、=屈折、雌伏)みて斉に朝(てう)するには如(し)かず、楚王必(かなら)ず怒(いか)らん、王、游(あそ)ぶ人(ひと)にして其(そ)の闘(とう)に合(むすびあ)へば、則ち楚(ソ)必ず斉を伐(う)たん、休(やす)める楚を以(もつ)てして罷(つか)れたる斉を伐たば、則ち必ず楚の禽(とりこ)と為(な)らん、是(こ)れ王の楚を以て斉を毀(こぼ)つなり。
(=第3段落は前段の主部。主題が提示される。この段落の論述は十一の文に分けられる3部構成。第1部は「臣聞之 王者得度 而霸者知計。今王所以告臣者 疏於度而遠於計」の二つの文。第2部は「王固先屬怨於趙 而後與齊戰。今戰不勝 國無守戰之備。王又欲悉起而攻齊 此非臣之所謂也」の三つの文。第3部は「王若欲報齊乎。則不如固變服折節而朝齊。楚王必怒矣。王游人而合其鬭 則楚必伐齊。以休楚而伐罷齊 則必為楚禽矣。是王以楚毀齊也」の六つの文。第1論節はこの論理小説の中心命題となる格言を含み、それと魏王の企図する無謀とを比較する。王者得度 而霸者知計がその主題となる格言、少し調べたが出典が見つからなかった、この小説起源のことばなのかもしれない、王者のほうの得度は後に仏教方面の用語になるが古くは他に見ない、覇者のほうの知計はありふれていそうな語句、ここは度も計も名詞用法で量りや物差しの意、動詞でははかる、王者のほうの度を得るは温度や生得と使うように内面的で感覚的な働き、覇者のほうの計を知るは実務的に処置する能力がある、この格言については後文で具体例が述べられている。臣聞之は常套句で必ずしも聞いたことばとは限らない。所以はこの場合は方法。疏くして遠しは疎遠、かけ離れている、大違い。第2論節は状況説明によって魏王の過ちを検証する。その第一文は従前の方策、感情的で行き当たりばったり、王固先は固よりと先にが重複ぎみだが、アウトラインの階層が違う、ちなみに固の字には痼の含みがあり魏王の持ち前の好戦的な性分を難詰してもいる、屬の原義は尾を引く。第二文は現状分析、現在でさえ窮状、國無守戰之備は守備も戦備もない、要は国に兵がいない。第三文は第1論節後半部の要約意見の解説として魏王の企図が乱暴無策であることを結論する、又欲悉起而攻齊は又とあるように魏王の前言の再出だが、国に兵がいないので起兵の兵を省いた、ここの此は日本語でコレやこのやコレこのように、あ~コレっコレっ! などと口走る包括集約の指示語、臣の謂ふ所とは例の臣之を聞くの格言。第3論節は主題に基づく適宜な方策をその効果予測とともに説明する。王若欲報齊乎、この文はあるいは...か? という仮定疑問形で訓んだ、王の本望は斉を攻めるではなく斉に報いるではないかの意。直後の則ちは逆接。続く不如固變服折節而朝齊は伝本によって固を因とする語の相違もあり難しい、この論説の大意に則せばここの文節では王者得度が述べられる、度に疏い魏王はうまくいっていないのにそれでもまだ従前の攻撃的な破滅型思考を押し通そうとしている、それを方針転換することが王者の得度だから不如固變は固より変ずるに如かずと解釈していい、大敗した時点までさかのぼって根本的な考えかたを変えたほうがいいの意、のこりの服折節而朝齊、折節は節操を枉げるの意で辞書に出ている熟語、古くは『史記』張儀列伝などや『戦国策』にいくつか用例がある、しかし越王句踐世家の臥薪嘗胆のくだりでは折節下賢人と使われる、雪辱のため身を低くして賢人に教わることだが、節義や節操を枉げて賢人に従うと解釈すると話がおかしい、では以前は賢人には絶対教わらないという節義があったのかという話になる、たしかに越王句踐はすこし傲慢だったらしいが、それにしてもそんな節操や節義は持たない、つまりこの折節はいわゆる変節を言うのではない、さて固變服折節而朝齊の解釈に戻ると、固より服従に変じて節義を折って斉に朝するではどこにも王者得度の出る幕がない、王者のあり方は今の魏王と違い大敗によって困窮した際には無鉄砲な攻撃方針を捨てるのである、よってここの節は節操や節度ではなく時節、この服折節は時節に折れるあるいは曲折した時節には服するである、他の古い用例でも折節の節は悪い時節柄と読める。楚王が必ず怒り出すはこの時点では惠施の勘を根拠とする当てずっぽう、しかし後段で論理的に解説される。王游人而合其鬭、この游人の游は自動詞なので人を遊でも人に遊でもない、游人は遊ぶ人である、遊撃隊は遊ぶ攻撃隊、遊びつつ急場を見定めて効果的に活躍する、合其鬭は楚王の闘争心に和合する、和合のかたわれの和が後文で出てくる。禽は擒のテ偏を取り去ってとらえられた者、動詞でとらえるとも使う)
 魏王曰く、善(よ)し。乃(すなは)ち人をして斉に報(ほう)ぜしむらく、願(ねが)はくは臣畜(しんちく)として朝(てう)せん。
(=第4段落は前段の結び。乃ちは上記内容を受ける接続詞、惠施の献策を魏王が承諾したので乃ち以下の運びとなる、これが結論であれば於是とする文例が多い、ここはまだ後段があるので於是とはしない。臣畜、臣は君主のために働く人、畜は人のために働く家畜)
 後段.
 田嬰(デンエイ)許諾(きょだく)す。
 戰醜(センシウ)曰く、不可なり、戦ひ魏に勝たずして朝礼(てうれい)を得(え)、魏と和(むすびあ)ひて楚に下(む)かふは、此(こ)れ以(もつ)て大いに勝つ可(べ)し、今、戦ひ魏に勝ち、十万の軍を覆して太子申を禽とし、万乗(ばんじょう)の魏を臣(めしつかひ)として秦(シン)楚を卑(はしため)とするは、此(こ)れ其(そ)の戻(ばか)を暴(さらけだ)すこと定(さだ)まれり、且(か)つ楚王の人(ひと)と為(な)りや、兵を用(もち)ふるを好(この)みて甚(はなは)だしきは名(な)に務(つと)む、終(つひ)に斉の患(わづら)ひと為(な)る者は、比(くら)ぶるに楚なり。
(=第6段落は後段の主部、前段の主部である惠施の論説に対応する。さっそく戰醜なる人名に問題がある、他の伝本はこの語り手を張丑とする、張丑は他の作品にも出てくるのできっとそっちが正しいとは思ったが、とりあえず絶滅危惧名のほうを残しておいた。その戰醜の論述は例の主題を反復展開する、第1論節が主題に基づく理想論、第2論節が王者得度、第3論節が覇者知計である。與魏和而下楚、魏と和しての和は前出の合に対応、下は方角的に南下、くだるとは訓みづらい。此可以大勝也、この此可は此れ...べしと訓み、これはよろしいの意、ここの以はゆゑとゆゑん、也は訓まなくていい断定、これ大きく勝つやり方ゆえ宜しの意となる。以上が夢物語の過去、直後の今の字より後の戰勝魏 覆十萬之軍而禽太子申という文が現在の実状、そして今後の見通しが続く。臣萬乘之魏而卑秦楚、この萬乘は魏秦楚の三国にかかる、三国ともに王号を称した大国、後文に齊侯とあり齊は侯国、臣と卑はわかりやすく男の召使いと女の召使いに訓んでみた、名実とも侯国にすぎない斉の分際で万乗の魏を臣従させると同じ万乗の秦と楚も卑しめることになるの意、此其暴戾定矣、それは戻を暴することに決まっているの意、暴戾は暴走非道の意として辞書にある熟語だがここの暴戾はばかさらし、暴は乱暴や暴虐のあばれる暴ではなくあばく意の暴、なぜなら戦争で勝ったあげくに万乗の国々を臣従させることは乱暴でも暴虐でもなく戦国諸侯にとっては健全なロマンである、この論者は天下諸国から恨み妬みを買うことが利口ではないと説くのである、戻を暴くと読ませるため暴於戻と於の字を加筆した伝本もある、戻は日本ではもどるの意で用いられる字だが元来の義は道理にそむく愚行、ここの含意は人の神経を逆撫でするかたき役として舞台に登場してしまうこと、この第2論節を少し整理すると、第1論節の理想論前半部で提示された王者のあり方にかんがみて魏の軍勢をこてんぱんにした現状は感心しないとはいえまだ善後策で救いようがある、それなのに魏から臣下の礼まで受けて得意になるようでは同様に大国である無関係な秦楚を小ばかにすることにもなるのでそれは自分でわざわざ天下の敵役になり果ててしまうばかっさらし、つまり現状に加えてさらに魏の臣服を許諾することは主題の王者得度とかけ離れたやり過ぎだという観点から論じられている、なお卑秦楚の卑も伝本によっては甲とされている、甲子は干支の第一、甲乙丙丁、甲はものごとの頭に用いられる字、甲秦楚であれば秦楚にすぐれるなどと訓む、原典は甲かもしれない、卑秦楚はわかりやすい。続く第3論節の且楚王之為人也 好用兵而甚務名 終為齊患者 比楚也は例の主題にあった覇者知計の句を受ける。務むは腕っぷしで励む、楚王の性格は好戦的で特にプライドのためにはがんばる。患は精神的に苦しめられる災い。比楚也の比はここの第1第2論節の結び方に倣えば此とあるはずの位置だが、比か必とする伝本しか見ない、此より比のほうがいいのかもしれない、也は断定)
 田嬰聴(き)かず。遂(つひ)に魏王を内(い)れ、而(しか)して之(これ)と并(とも)に斉侯(セイこう)に朝すること再三(さいさん)にす。
 趙氏(テウし)、之(これ)を醜(にく)む。楚王怒り、自(みづか)ら将(しやう)たりて斉を伐つ。趙、之(これ)に応(おう)じ、大いに斉を徐州(ジョシウ)に敗(やぶ)る。
(=第8段落は完結部。この完結部をそっくり切り落とした伝本もある、たぶんこれを欠いた写本のほうが由緒正しく、この尻尾は欠損を後で補筆修繕したのだと思う。魏王や楚王に対して前の段落とこの段落では斉侯や趙氏と呼んでいる、ちょっと戦国七雄という固定観念について考えさせられる)

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