『恵施の逆転覇王道』
解題

 馬陵の戦いが題材となった『戦国策』諸篇を選び出している3ページ目になります。
 馬陵の戦いに惨敗した魏王はとうとうかの恵施の献策にも手を出し、覇者は自分で戦わず王者は他国に服従するという倒錯を実行したところ、意外に奏功してしまう「恵施の逆転覇王道」。
 もうこれは馬陵の戦いの後日譚になっています。
 それにしても校訂欄の後半部分を見るとおり、この作品は損傷がひどいようです。一応、原文を定めてみましたが、とても原作に近づいた気がしません。
 伝本によっては結末部分がすっかり欠落しているのですが、文体などから推測するとケツばかりか冒頭も若いようなので後世の編集時に書き足されたのかもしれません。
 なにしろ話のあらすじだけで言えばすでに攻略して「ご破算で徐州の役」と勝手に題した作品と重複しています。
 主題も登場人物も異なりますから問題はないとしても、作家という人種の自尊心から考えると起こりえない盗作です。
 さてこの一編の主題を考えてみると、主題も何も、恵施の登場ということに尽きます。
 この人あるところ空間も歪むというブラックホール体質である恵施の個性が最大の見せ所です。
 一応、その恵施によって「王者得度 而霸者知計」という命題が提示され、この一編はその命題が論説と実際活動の上で展開されていく様子を描きます。
 しかしその命題にしても、本来はよく知られる古代中国の王道覇道のことでしかないのですが、恵施というブラックボックスの中を通過させたために不可思議な言い回しで提出されてしまうのでした。
 言い換えれば、「臣これを聞く」と、さも古来のいい言葉をシェアするかのように前置きしながら、彼の聞いたものは常識的でも、彼の口から出される際にはいびつに歪められ、もうすでに「王者得度 而霸者知計」という妙な言葉も恵施の話術のうちなのです。
 この言葉の原型である王道覇道の思想とは、王者は柔弱無力で良く、人徳で善く治めることこそ王道であり、覇者は強大なその力で世を治めてはならず、武力によって徳ある王者に取って代わるのではなく王者の補佐にならなければならないとします。
 『三略』という兵法書に「柔能く剛を制し、弱能く強を制す」というよく知られた格言が出ています。社会は実は弱い王者を待望するのかもしれません。
 さて恵施によって提示される「王者得度 而霸者知計」は要するにそれを言います。
 王者は度を得るの度は対句である覇者計を知るの計ともども物差しや量りのことですから、度を得るとは尺度や程度そして適度を体得するという意味です。
 また、度という語は尺度といってもかなりいいかげんな物差しであり、万人に共通する尺度を言います。
 逆に見れば、王者が度を得るとは社会万人の尺度をその一身に取り込むということです。
 それは対立者を撃ち滅ぼす腕力がある強者には大の不得手であり、むしろ対立者に妥協するしかない無力な弱者にこそ向いています。
 すると強大な武力で支配する統治者の社会は短命になり、持続性の強い社会では統治者が弱体化するということになりそうです。
 さて恵施は王道覇道の話をそう言い換えたため、論説の途中で「則不如固變服折節而朝齊」と言い出します。
 難読文ですが、要するに逆風吹きまく下降期の悪あがきは破滅の道だからすなおに雌伏したほうがいいという方向性の話です。
 社会万人のために治める王道思想からも、無謀は冒さない、向かい風の中ならばなおさら自重するという策は妥当です。
 ところがそれに覇者知計の命題も混ぜ込んで、恵施の献策はいっそのこと斉の国に服従してしまえというものになっています。
 こうして恵施に国家の計を建てさせてみたところ覇権国の王者だった魏王は自分では戦おうとせずしかも他国に従属するという開いた口も塞がらない奇矯な計略に打って出るのでした。
 原作者がどういう結末を付けていたのか今となっては知る術がありませんが、『荘子』から恵施を引っ張ってきた意図は以上のとおりでしょう。
 その恵施について最も詳しい人物紹介は『荘子』天下篇にあり、この人は『荘子』の人物としていいようです。
 古来、隠者めいた荘周のただひとり知られる友人と伝えられます。
 ところが『荘子』や『戦国策』でこの人の出演作を渉猟してみると、そもそも荘周の登場作品も意外に多くないのですが、恵施のほうは『荘子』においてもほんの数編にとどまり、そしてどこからこの二人を友人とする伝が生じたのかよくわかりません。
 この二人を友として並べてみると、天下篇の記述からも、恵施のほうは梁恵王の宰相として魏国どころか天下の大人でありながらこまごまとした小事の議論に熱心でけっして天下国家の大事を語らないという見掛け倒しキャラクターなのでしょう。
 それの相方である荘周は逆に天下国家の大事すら取るに足らない些末事だとする正反対の途方もない大うつけキャラクターだったはずです。
 それが社会の釣り合いというものです。
 『荘子』の出演作における恵施は実際にそうした性格で描かれます。けっして国家の計に心をくだかない大臣、この「戦国策」の一編はその恵施に国策を諮っていることが最大の意外性です。
 一方の荘子は『荘子』の登場作品になると上の想定よりも性格がやわらげられて『荘子』書の主人公に納まり、漢代哲学最大のヒーローに昇進します。
 そして『荘子』の共演作でこの二人の関係に目を凝らすと、たしかに友人同士のように処理されていますが、その関係がどの作品から始まったという馴れ初めは見当りません。むしろ『荘子』の共演作はそうした関係が既成事実となった後で制作されたようです。
 すると現行の『荘子』諸篇に先行してこの二人を友人同士とする文章作品ないし伝承がすでにあり、それに基づいて現行『荘子』の共演作などが書かれ、そして元祖のそれはとっくに散逸したのでしょうか。
 案外、彼らは宋の場末のローカル講談あたりに出ていたでこぼこコンビが楊朱学派に拾われて漢代哲学界にデビューしたのかもしれません。

May 05, 2018 - サイト管理人

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