『韓非子』難言
補繕

 «訓み下し - パッチ20180327»

 前段.
 臣非非難言也。所以難言者:
 言順比滑澤、洋洋纚纚然、則見以為華而不實。
 敦祗恭厚、鯁固慎完、則見以為掘而不倫。
 多言繁稱、連類比物、則見以為虛而無用。
 摠微說約、徑省不飾、則見以為劌而不辯。
 激急親近、探知人情、則見以為譖而不讓。
 閎大廣博、妙遠不測、則見以為夸而無用。
 家計小談、以具數言、則見以為陋。
 言而近世、辭不悖逆、則見以為諛。
 言而遠俗、詭躁人間、則見以為誕。
 捷敏辯給、繁於文采、則見以為史。
 殊釋文學、以質信言、則見以為鄙。
 時稱詩書、道法往古、則見以為誦。
 此臣非之所以難言而重患也。

(=前段は序と結びの文を除いて上のように一目瞭然の文字数合わせである、前半が4字、4字、8字の六つの文、後半が4字、4字、5字の六つの文となっている、その第1文だけは頭に言の一字を冠さねばならないので第2句もそれに合わせて5字としたらしい、また実際の原文には上の寸法に合わない字余りの文もあるが、無くてもよさそうな字を削除してみるとぴったりはまった。その十二の文のすべてで第3句は則見以為という言い方に統一されているが、省略されただけで前半六つの文の第1句の上にももれなく最初の文の言という一字が被さっている。則見以為の見は受身の助動詞、文語訓読では一般に「る」「らる」と訓まれる、為の字も受身で用いられることがある、ここの為は以為の語法で使われ、慣例としては「おもへらく」と訓み下される。前半はすべて言: A...則見以為: B.という構文で、Aのように言えば相手にはBのように思われるの意、後半はそれをすこし縮めた)

 後段.
 故度量雖正、未必聽也。義理雖全、未必用也。大王若以此不信、則小者以為毀訾誹謗、大者患禍災害死亡及其身。
 故子胥善謀而吳戮之、仲尼善說而匡圍之、管夷吾實賢而魯囚之。故此三大夫豈不賢哉。而三君不明也。
 上古有湯至聖也、伊尹至智也。夫至智說至聖、然且七十說而不受。身執鼎俎為庖宰、昵近習親、而湯乃僅知其賢而用之。
 故曰以至智說至聖、未必至而見受、伊尹說湯是也。以智說愚必不聽、文王說紂是也。
 故文王說紂而紂囚之、翼侯炙、鬼侯腊、比干剖心、梅伯醢。
 夷吾束縛、而曹羈奔陳。伯里子道乞。傅說轉鬻。孫子臏腳於魏。吳起收泣於岸門、痛西河之為秦、卒枝解於楚。公叔痤言國器、反為悖、公孫鞅奔秦。
 關龍逢斬。萇宏分胣。尹子阱於棘。司馬子期死而浮於江。田明辜射。
 宓子賤西門豹不鬥而死人手。董安于死而陳於市。宰予不免於田常。范雎折脅於魏。
 此十數人者、皆世之仁賢忠良、有道術之士也。不幸而遇悖亂闇惑之主而死。然則雖賢聖不能逃死亡避戮辱者何也。則愚者難說也。故君子不少也。且至言忤於耳而倒於心。非賢聖莫能聽。願大王熟察之也。

(=この後段には二十数人が登場するらしいとはいえ、原文は十数人の仁賢忠良としているので、十数人枠に収まるように読む。仁賢忠良それぞれのグループは出だしの仁を除いて古い順から列記される、仁グループはすべて殷紂王の被害者だが文王で代表されて一人の計算。孫子の位置と被害状況は孫武伝説と孫臏伝説が混同されているので落着かない。忠グループの尹子阱於棘は関尹子のこと、阱於棘は荊棘に陥るで苦しい目に遭う、あるいは牢獄に陥れられる、この関尹も名前があだになって色々な伝説にまみれ、函谷関から去ろうとした老子に道徳経を書き下ろしてもらった役人としても知られる、また三すくみという成語の生みの親としては非常に有名、そのため阱於棘は三竦みの誤解か。宓子賤西門豹不鬥而死人手、この鬥の字は闘にも門にもなる、宓子賤と西門豹はどちらもずば抜けて有能な地方長官として知られた文官、不鬥とは善く治めていた赴任地の関所を武力で厳重警固しなかったの意、中央政権の君主に対して無防備だった、人の手に死すは自死にまで追い詰められることはなかったけれど。なお伯里子の道乞は道が動詞で乞が目的語。結論の愚者難說也 故君子不少也、この箇所には異なる言い回しも伝わるが、君子という語を論者である韓非と同列の君子たちと理解できていれば文意はさほど狂わない、大王に意見できる道術有るの君子は世にいっぱいいるはずなのに大王が意見に飢えてこの韓非に無理強いに物申させようとするは何ゆえか、誰もかも上述した愚者難說也の実例を危惧しているのではないかという皮肉である)

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