『将軍章子は主君孝行』
後段

 『秦假道韓魏』後段
 5.
 於是秦王拜西藩之臣而謝於齊
 {是に於て秦王西藩の臣を拝して斉に謝す。」
 6.
 左右曰 何以知之
 「左右(さいう)曰く、何を以てか之を知る。」
 7.
 曰 章子之母啟得罪其父 其父殺之而埋馬棧之下 吾使章子將也 勉之曰 夫子之強 全兵而還 必更葬將軍之母 對曰 臣非不能更葬先妾也 臣之母啟 得罪臣之父 臣之父未教而死 夫不得父之教而更葬母 是欺死父也 故不敢 夫為人子而不欺死父 豈為人臣欺生君哉
 「曰く、章子の母啓(けい)、罪を其れの父に得(え)、其れの父、之を殺して馬棧(ばさん)の下に埋(う)む。吾れ章子をして将とするや、之を勉(はげ)まして曰く、夫(そ)れ子の強(つと)め、兵を全(まつた)くして還(かへ)らば、必ず將軍の母を更(あらた)め葬(はうむ)らん。対(こた)へて曰く、臣、先妾(せんせふ)を更め葬る能(あた)はざるに非ざるなり、臣の母啓、罪を臣の父に得(え)、臣の父いまだ教(をし)へずして死せり、夫(そ)れ父の教(をし)へを得ずして母を更め葬るは是れ死せる父を欺くなり、故(ゆゑ)に敢(あへ)てせじ。夫れ人の子たりて死せる父を欺かず、豈(あ)に人の臣と為(な)りて生ける君を欺かんや。」


 5.
 少し後日の話になるが、凶報を受けた秦本国からも早々に君主直々の言辞が使者の手で届けられ、その書面は「戎秦収むる寡人以て斉朝に於る西藩之臣為るを許され度候へば此度の不束なる仕儀は何卒平に...候」というような平謝りの内容だった。
 6.
 近侍の従者がけっしてご機嫌取りではなく好奇心を抑えられず斉威王にお伺いした、「王は章子将軍が叛いていないのは明白だと仰せでしたが、どうして敵軍の旗をかざしたことが仮の偽装で内部攪乱の計略だったとお見抜きになりましたか。われらは斥候の報告につられて、てっきり裏切ったものとばかり決めつけておりましたのに」合戦の大勝に興奮していた一同も、今はいくさ評定に孤軍奮闘して最後まで臣下を信じぬいた頼もしい主君が興味の的となり、聞き逃してはならじと御返答の言葉に耳を傾ける。
 7.
 「む、そのことか」お手にされている閉じた扇子をぺしぺしとお打ち鳴らしあそばれてお談じになる。「章子の母君は啓という名前でな、章子の父親に取り返しのつかない恥をかかせてしまった、それで章子の父親はそれを殺して厩舎の下に埋めたのだ、懲らしめで馬糞まみれにするというのでな。それで、章子を将軍にするとき、あいつを励ましてやろうと思って、わたしはこう言ったのだ、それ今度の役目は重責だが、まあそう気ばかり強張らせていても仕方ない、よし、将軍が見事務めを果たした暁には、きっとご母堂の墓をキレイなところへ引っ越させてやるからなと。するとあいつはこう言った、僕も生みの母親の墓を遷せなかったというわけではないのです、僕の最初の母は啓と申しまして、僕の父にとんでもない恥をかかせたので懲らしめられているのですが、父のほうもまだ指導を済ませないうちに亡くなりました、それ父の教戒を授からずして母の墓を遷すなんて、それは亡き父を欺くことになります、だから我慢しているのです、とな。それ人の子に生まれて死せる父を欺けないほどなのに、なんで自分から人に仕えて生ける主君を欺けようか」

inserted by FC2 system