『斉将章子』
現代日本語訳

 西方辺境の野蛮国で好戦的な秦。かの太公望に始まる東の斉国が下剋上で臣下に乗っ取られると、遠く東方かなたのことながら、まだヨチヨチ歩きのその新興国を一ひねりしたくてウズウズしていたが、いよいよがまんできずに長途遠征を決断した。後になると遠交近攻の原則路線を固持して天下統一成る秦国だが、この時代はそんなしっかりした対外戦略を持っていないのだった。
 そこで斉国との間に横たわる韓、そして魏、その両国に軍の通過を告げて斉国へ出兵した。
 このとき野卑な秦国はすこしばかり知恵を使い、韓魏の両国へ行軍の道を借りると言わずに道を仮りると通告する。古くからこうした頭越しの遠征はあらぬ疑念を中間国に抱かせるとされるため、あくまで新興国いぢめがしたいだけのこのたびは一時的な通過行軍で仮の領土侵犯だと保証し、韓魏の不安解消に努めたのである。
 さて斉国は後世に名君の誉れが高い斉威王の御代である。かねて目を掛けている若手の章子(匡章)がいいと思い、斉兵を率いさせて秦の遠征軍に当たらせた。
 両軍、相まみえ、とりあえず使者を交わして、いっときの猶予を約してから、それぞれ陣舎設営に取り掛かった。すると、なにしろめったに往来のない遠国同士、互いの何気ない話がいと珍しう、つい興に乗って使者を繁く通わせ合ううちに、兵卒同士も合戦前の緊張感がなくなって相好を崩すやら交流を始めるやら敵味方なく意気投合してしまい、とうとう両軍の見境がつかなくなる始末。頼もしくも恐ろしい斉威王に抜擢されて責任感が重くのしかかる斉将章子、敵味方が和気あいあいと入り雑じるたるんだ光景を眺めると、とっさに麾下の兵団の旗じるしをさっと偽装工作させ、仮に斉軍の旗を秦の軍旗のように変えて、まるで吸い込まれるように、忍びやかに秦陣営の中へ消えていった。

Sengokusaku_Sei-Iou5

 斥候が戦場から斉都臨淄の王宮に戻り、「章子将軍が手勢の斉兵と連れだって秦側に加わりました」と報告を上げたが、斉威王は耳がないかのように、黙して聞き流した。だから戦時の御前会議もちょっとざわついた以上の反応にはならなかった。矢継ぎ早に第二報の斥候が戻ると、何ら事後対応の動きもないのどかな朝議の様子にびっくりして、「将軍章子、斉兵をともなって秦に降りました!」と怒鳴るように復した。今度こそ、いくさ評定はざわざわと険しくなった。しかし威王はやはり聞く耳持たず、黙して相手にしない。そんな暖簾に腕押しが三度になった。
 いくさ係りのお側官がしびれを切らしてご注進申し上げた。「章子の投降を伝えてくる物見は異口同音、人を変えても報告は一緒でございます。王、なにゆえ、新たに将軍をお出しになって卑怯者をお討たせになりませんのか」と威王の踏ん切りを促す。ところが王はカッと目をむき、「なにを... あれがこれに叛いていないことは明白ではないか、それを討てとはどういう話だ」と感情的に強弁するばかりで取り合わない。そうこうするうちに新たな戦況報告が届いた、「斉の兵大勝でした。秦軍大敗です」と明るい声で言う。御前の臣一同は一瞬耳を疑って黙し、次の瞬間には歓喜の笑顔が満開に咲きほこった。それからも人を変えては異口同音の戦勝報告が相次いだ。
 少し後日の話になるが、凶報を受けた秦本国からも早々に君主直々の言辞が使者の手で届けられ、その書面は「戎秦収むる寡人以て斉朝に於る西藩之臣為るを許され度候へば此度の不束なる仕儀は何卒平に...候」というような平謝りの内容だった。
 近侍の従者がけっしてご機嫌取りではなく好奇心を抑えられず斉威王にお伺いした、「王は章子将軍が叛いていないのは明白だと仰せでしたが、どうして敵軍の旗をかざしたことが仮の偽装で内部攪乱の計略だったとお見抜きになりましたか。われらは斥候の報告につられて、てっきり裏切ったものとばかり決めつけておりましたのに」合戦の大勝に興奮していた一同も、今はいくさ評定に孤軍奮闘して最後まで臣下を信じぬいた頼もしい主君が興味の的となり、聞き逃してはならじと御返答の言葉に耳を傾ける。
 「む、そのことか」お手にされている閉じた扇子をぺしぺしとお打ち鳴らしあそばれてお談じになる。「章子の母君は啓という名前でな、章子の父親に取り返しのつかない恥をかかせてしまった、それで章子の父親はそれを殺して厩舎の下に埋めたのだ、懲らしめで馬糞まみれにするというのでな。それで、章子を将軍にするとき、あいつを励ましてやろうと思って、わたしはこう言ったのだ、それ今度の役目は重責だが、まあそう気ばかり強張らせていても仕方ない、よし、将軍が見事務めを果たした暁には、きっとご母堂の墓をキレイなところへ引っ越させてやるからなと。するとあいつはこう言った、僕も生みの母親の墓を遷せなかったというわけではないのです、僕の最初の母は啓と申しまして、僕の父にとんでもない恥をかかせたので懲らしめられているのですが、父のほうもまだ指導を済ませないうちに亡くなりました、それ父の教戒を授からずして母の墓を遷すなんて、それは亡き父を欺くことになります、だから我慢しているのです、とな。それ人の子に生まれて死せる父を欺けないほどなのに、なんで自分から人に仕えて生ける主君を欺けようか」

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