『魏武侯諸大夫と』
解題

 ( 2. 08 ⁄ 16 追記 )
 訓読文を全面的に修正しました(副読本は対象外)。読解は主に大幅な削除で手直ししました。原文の一部も改めました。
 デタラメな解題などについては……、わけのわからない動画をどうにかしてから考えます。
 本作品は謎です。呉起の登場作品は兵法書『呉子』にまとめられたはずなのに、どうしてこの一編だけが戦国策にポツンとあるのでしょうか。
 『史記』列伝でも紹介される人気作品なので、ぜひ解明されなければなりません。
 今後、このサイトで兵法書『呉子』を読み込む予定がございます。そちらをどうかよろしくお願いいたします。
Aug 16, 2020 - サイト管理人
 戦国時代最高の人物、呉起の登場です。
 古来言われる孫呉の兵法の呉子とはこの呉起のこと。戦術論の最高峰が孫子ならば呉子は戦略論の最高峰とされます。
 また政治家としても魏文侯と楚の悼王のもとで飛び抜けた才能を発揮し、数十年後に現れる改革者商鞅ともども賢者を上回る聖人と称されるほどです。
 文武両道で類い稀、まるで絵に画いたような理想像。
 しかし中国の古代史では、功の天下を蓋う者は賞されず、というような皮肉が言われます。理想的すぎる呉起も悲劇の運命を免れません。その悲愴な生涯については参考までに『史記』呉起列伝を併載しました。
 『史記』では呉起の悲劇的人生の裏書として、冷血非情な性格をことさらに際立たせています。
 その『史記』の列伝と、また古くは呉起の自著とされていた兵書『呉子』のため、この人物はさほど実在性が疑われてきませんでした。
 逆に、この人物の実在性を証するものは要するに以上の二点しかないとも言えます。むかしと違い文献学の発達した今日では、むしろこんな創作上のキャラクターを実在人物としてきたことが不思議です。
 すでに孫子のページで述べた新説ですが、『史記』の孫子呉起列伝などは人物伝のように見えて実は当時の名著のための解説にすぎません。
 すると兵書『呉子』は『史記』の呉起列伝に先行していたことがわかります。『史記』にもそうあるので、この点は間違いないでしょう。
 兵書『呉子』は序章から始まります。魏文侯に歓迎され、西河地方を守り、大活躍したとする人物紹介が序章の内容です。
 その『呉子』序章の内容は後の『史記』列伝にはほとんど見られませんが、上に要約した大筋は両者一致しています。逆に、『史記』列伝のほうにある呉起が楚の国へ奔ったという晩年の逸話は呉起の人物紹介である『呉子』序章と噛み合っていません。
 さて、『戦国策』のこの一編が作られた時期について。兵書『呉子』から『戦国策』のこの一編を引き算すると、『呉子』序章にある魏文侯時代の活躍が余る、つまり『戦国策』のほうではそれがすっかり無かったことにされています。
 『戦国策』側の事実誤認や情報不足なども可能性としてはあり得ますが、それよりむしろこの一編の成立した時期にはまだ兵書『呉子』にくだんの序章はなかったと考えるほうが素直かもしれません。
 そこで兵書『呉子』の成立過程を検証してみると、現行本を見るだけでも大まかに三段階の時間差が窺えます。
 古いと思われる順から挙げると、最初に「呉子曰く」と書き始められる独言での戦略論述、次に魏の武侯との問対、そして最後に人物紹介の序章。兵書「呉子」はこの順に書き足されたようです。
 実に意外な話ですが、呉起伝説の原点である最古層の兵書『呉子』における呉子はまだ呉起のことではありませんでした。その「呉子曰く」で想定されていた呉子とはおそらく呉越戦争期の呉の伍子胥です。
 呉起という架空人物の出現は呉起伝説の二段階目、兵書『呉子』の二層目の時期になります。『戦国策』の船上説法はこの段階で作られたようです。まだ呉起伝説に魏文侯は登場しません。
 この呉起の船上説法は『史記』列伝で改作され、あたかも呉起が善政徳政を主張してしまいます。これもまた古代における呉起伝説発展の一例でしょう。
 しかし『戦国策』小説原典のほうはそうした古い政治道徳を主張するような内容ではなく、地形の険阻は頼むに足らずと説くだけ、つまりそれが国の防衛にどの程度有効かという戦略論です。
 この点から船上説法の作者が第二層目の兵書『呉子』に精通していたと確認できます。彼は『呉子』序章を見落としたのではありません、まだ「呉子の書」にその序章が書かれていなかったのです。
 以上の見解はあくまで一説であり、何の証拠資料もありません。
 案外、うだうだ考えるまでもなく、古来の伝説で知られるとおり、魏の文侯武侯時代の西河地方に呉起という太守が実在し、「呉子の書」という兵書はたしかにその人の言説をまとめたものだったということも、可能性としてはあり得ます。
 が、たとえ事実はそうとしても、『史記』の呉起列伝で興味深く述べられているキャラクターはけっしてその人ではあり得ません。
 兵法書『呉子』、『戦国策』の船上説法、『史記』の呉起列伝、この順に発展してきた呉起伝説を逆に遡上してみると、すぐ途中で秦の商鞅に出くわし、終着点では呉の伍子胥が待っているはずです。
 呉の伍子胥は呉王夫差に疑われて属鏤の剣で非業の自刎を遂げる功臣ですが、先代主君である呉王闔閭に重く信任されて呉国を躍進させています。
 世継ぎから見て言わば親父と親しい間柄だったためずけずけ口やかましく説教してくる鬱陶しい存在でした。
 呉起伝説にはそうした伍子胥の立場がそっくり投影されています。もし呉起伝説が伍子胥と無縁だったとしても、伍子胥物語からの影響はあったかもしれません。
 また、呉王闔閭のもとには伍子胥の同僚として孫武も召し抱えられていたという伝説があります。古くは「孫子の書」の作者とされていた例の伝説上の武将です。『史記』の孫子列伝でよく知られます。
 呉王闔閭のところで一緒だった孫武と伍子胥、この二人を強いて性格付けると、孫武は戦場敵前で戦術担当、伍子胥は呉王のブレーンで国家戦略担当でした。そのまま孫呉兵法の性格の違いです。

Dec 24, 2017 - サイト管理人

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