『魏武侯諸大夫と』
現代日本語訳

 1.
 兵書『呉子』でも準主役を務める魏の武侯。あるとき陪臣の大夫一同と西黄河に船で遊び、大黄河と流域の山岳、守るに易く攻めるに難い天然の防御力を褒め称えた。「みなの者見たまえ、この地形の険しさ、まことに堅固なものよ」
 またしてもおそば近くの大夫王鍾が武侯の大はしゃぎに調子を合わせて語った。「いやまことに、これこそそのむかし我が晋国を強大にした原動力でしょうな、うまく活かせば大いに覇業王業の役に立つことでございましょう」
 一方、呉起は同調するどころか、苦り切った表情を王鍾へ向けた。「我れらが主君のお言葉は国を危険にさらす不見識だったというのに、あなたもそれに話を合わせてしまう、そんなことでは危険性がとても重大なものになります」
 2.
 武侯は怒りの気色あらわに呉起へまくしたてた。「ならばそういうそなたの見識をお聴かせ願おう」
 呉起はニヤリと微笑した。「まことに天険は国を保つにさえ足りません、ですから覇業王業を呼び込まないことはなおさらなのです。
 むかしの事例をいくつか見てみましょう。
 三苗のともがらの根拠地は左に彭蠡(湖)の波があり右に洞庭(湖)の水があり、汶山が南にあって衡山が北にあるという守り易さ、その天険に期待すればこそ政治はでたらめだったので聖王禹が放逐してしまいます(そして夏を興こした)。
 かの夏王朝の最後となった桀王の国は天門の山陰を左にして天谿の山陽を右に、廬(水?)睪(水?)が北にあり伊水洛水が南に発するという要害、そうした天険の助けこそあったものの政治はあの通りのていたらくだったので聖王湯が討伐してしまいます(そして殷を興こした)。
 かの殷王朝の最後となった紂王の国は峻厳な太行山の孟門の隘路を左にして漳水滏水を右に、前には大黄河を横たえ後ろには山を背負うという要害、そうした天険の助けこそあったものの政治はあの通りのザマだったので聖武王が討伐してしまいます(そして周代になった)。
 そしていづれの事例でも君主自身が先頭に立ち臣下を後ろに従えるという陣立ての真っ向武力突撃で勝ちきって城を攻め落としているのです。城壁が低すぎたわけでも城を守る人民が少なすぎたわけでもなしに、それでいて天険に富むそれらの国を呑み込んでしまえた要因は政治がダメだったに他なりません。
 以上の実例のとおり険阻な形勢は国を保つにさえ用の足りないものなのです、ましてや覇業王業に用が足りるでしょうか」
 3.
 武侯は深くうなった。「うむ、その通りと思う。私はなんというか、そなたの話に聖王とあったが、今の世に聖人の言葉を聞いた思いだ。この西河地方の政治はすべてそなたに託すとしよう」

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