『(改訂)先づ隗』
解題

  ─ 再改訂 ─
 二度目の書き直し、三度目の清書ということになる。
 自分の鈍い頭がつくづくいやになる。
 この小説の論旨は前回解題の結論にある理解でもいいが、そこに至るまで余計なことを書きすぎている。
 要するにこの小説はマトリョーシカの入れ子構造だから間違いやすいのだ。
 有名な「死馬の骨を買う」の話は郭隗先生のたとえに出てくる涓人の理屈だが、その郭隗先生だってこの小説の登場人物、言い換えれば小説もたとえ話の一種なのだから、この小説はたとえ話の二重構造と言える。
 つまり読者は涓人の理屈が解けると罠を免れたようにホッとしてしまい、それより大きい郭隗先生の罠に落ちるのだ。
 いったいぜんたい小説の主人公はかならず作者の考えを代弁するものだろうか。
 先もないのに貪欲な高利貸しばばあから大志ある青年が強引に金を譲り受けて何が悪いとラスコーリニコフは居直ったが、その個人的な若気の至りがドストエフスキー自身の哲学だろうか。
 小説全体を読めば、郭隗先生が作者に利用されて、言いたくもない話を言わされていることは明らかだ。
 先生は真顔で前半の小難しい王道を言った。しかし燕昭王が金もなく物分かりも悪い子だから、しかたなく後半の庶民的な易しい話になる。
 ほんとうならば千金を積んでも入手困難なのであり、そもそも金で解決することでもない。だからお金のことなんか涓人は半値でもない五百金に抑えて、そんなことより半人前でしかない主君の風評を飾り立てる。
 それなのにまだ君は散財した五百金に気を取られ、自分の評判が上がることに大局的見地から気付くことができない。
 類話が「戦国策」の孟嘗君と馮驩の一編に出てくる。馮驩は債権取り立てを命じられたのに、取り立てたお金を領民におごってしまう。
 お金のことで激昂する孟嘗君。徳を買って来ましたと抗弁されて何も言えなくなる。
 しかし郭隗先生は満を持して言ったのではない。やむなくそんなたとえを持ち出している。
 あくまでこの小説は徳ある賢君に福が来たというありきたりな結末へ向かおうとする。宣伝の効用だの海老で鯛を釣るだのという限定的な理解は読者がまだ大きい罠から脱していない。
 昔の人はそこに気が付いて、本来の結末の後に続きを付け足し、次の読者が誤解しないように取り計らった。
 おしまいのあからさまな加筆は「落し穴注意」の親切な立て札だったのである。

Sep 24, 2018 - サイト管理人
 燕昭王は28年間にも及ぶけなげな祖国復興の後で劇的な復讐戦を成功させます。その逸話として古来あまりに有名な一編──
 斉軍に蹂躙された祖国の雪辱を固く誓いながらも人材不足に悩む燕昭王。郭隗先生が死馬の骨を買うのたとえ話を説き、みごとに天下の逸材たちを呼び込んだ「先づ隗より始めよ」。
 題材である燕斉戦争は西紀前300年をはさんで三十数年間にもわたる大河ドラマです。
 事の起こりはまだ斉が宣王、燕が王噲のころでした。
 燕の王噲はこの一編に言う古法に惑溺し、おおむかしの聖帝に強いあこがれを抱き、世に伝わる帝尭の禅譲を見習おうとして、自身も太子を廃して大臣の子之(シシ)に譲位しました。
 これにより燕国は新君主である子之を担ぐ党と廃太子を復位させようとする勢力に割れて破燕となります。
 破燕の混乱に乗じた隣国の斉がほんの数十日間で燕国を制圧するさなか、先君による廃位が解けない燕太子は身動きに極まり、父王の戦死と自国壊滅をただ茫然と眺めるしかありません。
 しかし暴斉の強大化を懼れる諸侯のあいだに救燕活動と反斉連合の雲行きが現れ、それに勇気づいた燕が太子を即位させてその下に団結すると、斉軍はやむなく独立を認めて引き揚げます。
 こうして破燕を収めて即位した燕昭王はこの一編の最初と最後にあるとおり、「卑身厚幣以招賢者 弔死問生與百姓同其甘苦」という憐れみ深い善政の二十八年間を送り、ついに斉国への復讐をやり遂げるのでした。
 さて、それを題材にしているこの作品は古くからたいへん人気が高く、死馬の骨を買うというたとえ話あるいは先づ隗より始めよという成句でよく知られます。
 しかし大まかな目分量で言うと、一般に注目されるその部分は郭隈先生の話のうち半分の量にすぎません。
 それとだいたい同じ分量で堅苦しくも重苦しい服道致士の古法のために紙面が割かれています。
 郭隈先生が「古服道致士之法」と呼んでいるそれは『呉子』など他の書物にもちょっと違った言い方で散見されるものです。
 『呉子』では楚の荘王が「寡人聞之、世不絕聖 國不乏賢、能得其師者王 得其友者霸」と引用します。この人は西紀前600年ころ、いわゆる春秋五覇のひとりです。
 郭隈先生は古き法と呼びますが、しかし説かれていることは法則であるにしても、それを説く魂胆は人に師事する謙譲の美徳を推奨するために決まっています。
 まさに郭隈先生もその古き法の引用から賢臣を得て師事せよという結論をはじき出すのでした。
 ところが郭隈先生の引用はストーリー展開の上でまったくとんちんかんです。前文にある燕昭王の相談の内容に対しても話がかみ合っていません。
 引用に先立つ前段は冒頭の説明文も「卑身厚幣以招賢者」と特に人材招致について強調し、燕昭王の相談の文も、斉に復讐して雪辱を果たしたいとは言いながら、人材獲得によってと方法を限定するものでした。
 そして後文のストーリー展開を見ても、人材獲得がこの一編の主題であることは読み間違えようもありません。
 それに対して、郭隗先生の引用は人事採用業務の原則マニュアルではなく、内向的な道徳論です。
 郭隈先生が「古服道致士之法」と呼んでいる記述部分を少し詳しく解釈してみると、二つの命題に分けることもできます。
 第1命題は楚の荘王も聞いていたという内向的な道徳論で、全文は「帝者與師處 王者與友處 霸者與臣處 亡國與役處」。
 次に第2命題は北面して学びを受ける云々以下「徒隸之人至」までです。この第2命題は引用ではありません。これは第1命題の道徳論から郭隗先生が勝手に類推した説です。
 さて、ともかくも郭隗先生は古き服道致士の法を説き、燕昭王から持ち掛けられた難問に「博選國中之賢者而朝其門下」と提言しました。
 それを受けた燕昭王のセリフが「寡人將誰朝而可」。これまたまったくとんちんかんなお言葉です。
 なにしろ郭隗先生は古法を説いた上で、国内から賢者を博選せよと提言しています。燕昭王もその提案を呑むのであれば、もう何をつべこべ言う必要があるでしょうか。実際に彼は次に続く郭隗先生の名案に納得すると、もう黙って実行しています。
 ところが燕昭王から素朴な疑問が出ると、自分で国中から賢者を探し集めよと言い出した当の郭隗先生でさえ、ついに賢者探しを始めることもなく、お手軽に自分を推挙してしまうのです。
 そこで燕昭王のセリフ「寡人將誰朝而可」に戻ると、文面こそ誰に師事すればいいかという表現ですが、実はどん底にある燕の国内から賢人を調達するという企画に懐疑的なのです。
 この一編の主眼はそこにあります。
 さらに戻って郭隗先生のとんちんかんな引用を見直すと、これは古い道徳論から借りていますが、名君燕昭王に道徳論は釈迦に説法です。
 冒頭文に「卑身厚幣 以招賢者」とあるように、すでに燕昭王は有徳者の服道致士を修めているので、今さら道徳を諭す必要はありません。この引用はむしろ燕昭王がすでに有徳であることを確認するもので、そのため重苦しくても最善から最悪までを全提示します。
 しかし燕昭王も万全ではないから郭隗先生に相談しているのです。彼は特に賢者賢士に恵まれていないことを訴えます。その悩みを古い道徳論に照らしてみると、賢者賢士を師友とする名君の道に服していないのです。
 そこで郭隗先生は古い道徳論をにわかに人士招致法に造り変えて説き、国内あまねく総ざらいして賢者を取り立てて師事すれば国外からも賢士が駆け付けるものだと通り一遍に御託を述べます。
 しかしそれは尋常な国であればこそ通用する一般論であり、つい先日まで隣国の軍靴に踏みつけられていた病み上がりの燕昭王の場合はそもそも手始めに師事する国内のちょっとした賢人さえ見つけられないので仕方なく郭隗先生に相談しているのです。
 つまりこの一編は足りていないどん底の境遇に目を付けた貧困小説と言っていいでしょう。
 郭隗先生によって紹介される死馬の骨を買うのたとえ話はさまざまに解釈できるそうですが、この一編の中では無用の用の意味です。
 そもそも荘子哲学に言う無用の用も貧困思想と言えます。無用の用とはいわば発想転換法の一つですが、人は充足していれば発想を転換しないで日本方式に固執してガラパゴス亀になるのであり、発想転換はいわゆる持たざる者の窮余の一策です。
 たとえ話の「古之君人」とその「涓人」は千里馬を求めます。しかしこの話は良馬招致法を伝えたいのではありません。彼らはお望みの千里馬とは遠くかけ離れた死馬を手に入れます。かなり足りていない死馬の骨でやりくりして間に合わせることがこの挿話のもともとの主旨です。

May 28, 2018 - サイト管理人

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