『燕昭王破燕を収め』
第3段 5∼7

 第3段 5
 「昭王曰、『寡人將誰朝而可?』」
 昭王、曰く、『寡人、将(は)た誰にか朝(てう)して可(か)ならん』
 ─ この『将(は)た』はそもそも、いったい。まるで思いつかない、皆目見当がつかない、手掛かりがつかめない。『将』は将軍・大将の将だが、率いる意、前置詞 且の字に代用された。前文、郭隗先生の結論は『国中から選びなさい』、昭王の途方に暮れる『将(は)た誰』はそれに対する根本からの疑問。『寡人』は謙譲一人称、最初の段の『孤』よりもフォーマル。相手の郭隗先生が堅苦しい原則論を言うので、自分も襟を正した。『朝(てう)して』は臣下の参朝、普通ならば君主である昭王はしない、相手の話にオウム返しした。ここまで、賢者賢臣を将た誰と言換えた以外は相手の郭隗先生の流儀論法に順っている。つまり、先生のご高説はごもっともですが、今度は肝心のその国内賢者賢臣について実名を教えてくださいませんか、と追及した。『寡人...』以下数語しか発しない昭王は会話当初の段から変貌して冷ややかな真顔なのである。なにしろ、ご大層な古法を持ち出して尊大に構えた郭隗先生だったものの、とっくに馬脚を現している。彼の意見の主旨は臣下にも師事するほどの謙虚な心構え。一般的には反論を食らうことがなく、それゆえ使い古されてきた重宝な帝王学である。ところが子之の乱からの破燕で辛酸を舐めてきた昭王に限っては何よりの禁句。先代の父王がそれこそ臣下に謙譲しすぎたため国内分裂の破燕に陥り、そして斉国の侵攻を招いている。この説客はそんな下調べも怠けているふつつか者なのだった。もっとも、後に名君と称えられる昭王だけあって、すぐさま怒りを露わにするということもない。嵐の前の静けさ、『寡人...』と、急にあらたまった口調になり、声のトーンを落として、『将(は)た誰?』意地悪な二の句を継いだのだった。『誰』は何びと・何者ではなく誰、どういうタイプの人かではなく誰、個人の名を問う、つまり身元不明ながら特定の人。裏返せば郭隗先生の前文を抽象に過ぎると批判する。もちろん郭隗先生の口から燕国賢者の名が語られることに期待しているのではない、一人の賢者賢臣どころかこの国のことをなんにも知らない説者だと見透かしていながらの下問である。 ─
 第3段 6
 「郭隈先生曰、『臣聞古之君人,有以千金求千里(之)馬者,三年不能得。涓人言於君曰、”請求之”。君遣之。三月得千里馬,馬已死。買其首(骨)五百金,反以報君。君大怒曰、”所求者生馬,安事死馬而捐五百金?”。涓人對曰、”死馬且買之五百金,況生馬乎? 天下必以王為能市馬,馬今至矣”。於是不能期(朞)年,千里之馬至者三。」
 郭隗先生、曰く、『臣聞く、古の君人(くんじん)に,千金を以て千里の馬を求むる者有り。三年得る能(あた)はず。涓人(けんじん)、君に言(い)ひて曰く、”請(こ)ふ、これを求めん”。君これを遣(や)る。三月にして千里の馬を得(う)。馬、已(すで)に死にたり。その骨を五百金にて買(か)ひ,反(かへ)りて以て君に報(ほう)ず。君、大いに怒(いか)りて曰く、”求(もと)むる所(ところ)の者は生馬(せいば)なり。安(いづく)んぞ死馬を事(こと)として五百金を捐(す)てんや”。涓人(けんじん)の対(こた)へて曰く、”死馬すら且(か)つ之(これ)を五百金に買(か)ふ,況(いはん)や生馬をや。天下、必ず王を以て能(よ)く馬を市(か)ふと為(な)さん。今に馬至(いた)らん”。是(ここ)において朞年(きねん)なること能(あた)はざるに,千里の馬の至る者の三(さん)ありき。
 ─ 有名な『死馬(の骨)を買う』のたとえ。やにわに深刻な昭王を威儀高々に一般論で丸め込もうとした郭隗先生、よりにもよって昭王に臣下への臣従というむやみな忠告を口走ってしまい、すかさず『この国の賢者賢臣にとは、そも誰に仕えれば良いと?』厳しい追及が待っていた。この国の才子一人どころか燕国の事情も知らない、かといって口に出したものを引っ込めていては説客稼業が立ち行かない。有名なたとえはそうした窮地の立場を借りて語られている。その論述は対句の応酬。千金と千里の馬、また五百金。三年と三月。生馬と死馬。涓人(けんじん)と捐(す)つる。買(か)ふと市(か)ふ。『朞年(きねん)』の『朞』は月の一巡り、原義は一か月、十二か月十三か月で一巡りと見て『朞年』は一年。『涓人(けんじん)』は宮中の雑用係といわれる、ひいては宦官とも。『涓』に似た字の絹、イト偏にツクリは巻く意、ツクリの巻くは人間になにか巻いている形。蚕から取った糸をくるくる巻いて絹。テ偏で人を巻く『捐(す)つる』はいわゆる簀巻き、人の簀巻きは死人を投棄するため、親しい死体ならきちんと葬るから、『捐(す)つる』は厄介払いのドブ捨て、呉王夫差による伍子胥の簀巻きが有名。今日では主に義捐金という語で用いられる、字義からすれば義援金や寄付という語とは一線を画して本当に捨てた気のゼニ。『涓人(けんじん)』は何か巻いた人の水仕事、雑巾がけや洗浄、調理など、ただし大昔に人といえばあくまで人士だから、宮中の雑用係となる。 ─
 第3段 7
 「今王誠欲致士,先從隈(始)。隈且見事,況賢於隈者乎? 豈遠千里哉?』」
 今、王、誠に士を致さんと欲せば,先づ隗より始めよ。隗すら且つ事へらる,況や隗より賢なる者をや。豈に千里を遠しとせんや』
 ─ 有名な『先づ隗より始めよ』のたとえ。意味は『死馬(の骨)を買う』のたとえと同じく宣伝活動。『千里を遠しとす』の否定・反語形は遠方よりすっ飛んで来たるの意の常套句。前文の千里の馬にも掛ける。『誠に』は郭隗先生の結論として再出なので、畳みかけの強意。四の五の言わせぬ説得。昭王も乗せられてしまい、後段のとおりに。その結果を郭隗先生の立場で見ると、父王の二の舞になる愚かさすら忘れさすほど巧みな弁舌だったということになる。また、昭王の立場で見ると、何より避けるべき父王と同じ道を進むことさえあえてしたおかげで賢者獲得が実現したということになる。 ─


 昭王は顔を曇らせた。なにしろ納得しかねる意見だった。それこそ先代燕王である父君は謙譲の美徳を重んじ、臣下に対してへりくだり過ぎてとうとう大臣に位を禅譲してしまい、そのせいで国内分裂の大混乱を引き起こし、破滅を招いているのだが、その二の舞を演じさせる意見ではないのだろうか。そこで慇懃にあらたまって問いただした。『わたくしめはいったい誰の門下に参じればいいのですか』
 昭王の態度がこわばったことは郭隗先生も見て取ったが、臆することもなく、むしろ説客らしい面構えが一段と際立っていた。『王さまにお仕えいたしますわたくしはこんな話を聞いております。古い世の君主であられた方なのですが、千金を払ってでも千里の馬を持ちたいとお思いになられたのです。ところが三年ものあいだ探させたのに手に入れられません。すると小間使いの者が名乗りをあげまして、自分が探してみせると申します。主君は行かせてみました。たったの三か月で本当に正真正銘千里の馬を見つけ出したのでございます。ただし、とっくにしかばねになっていた馬でした。小間使いはその骨を五百金で買い求め、主君にご報告いたしました。主君はもうカンカンです、生きた馬でなければ意味がない、死んだ馬に五百金も払うなんてドブに捨てたようなものではないか、当然そうこっぴどく叱り飛ばします。しかし小間使いは臆することもなく説明しました、そうです、いくら良馬と言ったって死んだものに五百金なんてべらぼうです、だったら生きていれば想像もつかないほどすごい値で買い取られているに決まっています、つまりは王さまが莫大な資金で馬を商うことは必ずや天下に知れわたります、そうなれば今にお目当ての馬も向こうからやって来ることでございましょう。そう小間使いが申し上げましたとおり、一年もしないうちに本当に千里の馬を持ち込んできた者が三件もあったそうでございます。
 さて王さま、本気で天下の人材を招きたいとお思いあられるなら、真っ先にこのお傍に見えます隗を手始めとなされませ。こんな名もない隗めでさえ師と仰がれるなんてべらぼうです、だったらこの隗めより能のある者ともなれば想像もつかないほど丁重に迎えられるは必定、誰が遠路はるばる王さまのもとに参ることを苦労だと考えますでしょうか』

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