『晋畢陽の孫予譲』
後段 第8文

 後段 第8文
 「於是趙襄子面數豫讓曰、子不嘗事范中行氏乎、知伯滅范中行氏,而子不為報讎,反委質事知伯、知伯已死,子獨何為報讎之深也。豫讓曰、臣事范中行氏,范中行氏以眾(衆)人遇臣,臣故眾(衆)人報之、知伯以國士遇臣,臣故國士報之。」
 ここにおいて趙襄子、予譲に面(めん)して数(すう)して曰く、子は嘗(かつ)て范・中行氏に事へずや、知伯の范・中行氏を滅ぼせるに,子は為(ため)に讎(あだ)に報いず,反(かへ)りて質(し)を委(ゐ)して知伯に事(つか)ふ、知伯の已(すで)に死して,子は独り何すれぞ讎に報ゆるの深きや。予譲、曰く、臣は范・中行氏に事へたり,范・中行氏は衆人を以て臣を遇(ぐう)しき,臣は故に衆人もて之(これ)に報いぬ、知伯は国士を以て臣を遇せり,臣は故に国士もて之に報(むく)ゆ。
 ─ 原文『趙襄子面數豫讓』は先達による通例の訓読では『趙襄子、まのあたり予譲を数(せ)む』。それが模範解答、試験で〇をもらうにはそれ。しかし趣味の漢籍学では、現代語訳ではない訓み下しで『面』を『目の当り』とは訓する気がしない。また、『数』を『責める』と読むことも一般読者には飛躍的すぎる。原文が『面責』ではなく『面數』である以上、この場合の『数』の字にはどのみち説明が必要、意味不明に『数(すう)す』と訓じておくほうが潔い。『面責』は漢字熟語、面と向かってなじる、しかし『面数』は『面する』と『数する』で別個の二語。『趙襄子、面して』は主人公に直接話しかけた。前出、主人公の仇討ち作戦第一弾のくだりでは、怨敵知伯への意趣返しで主人公を国士だと持ち上げたが、本音ではトンマなチンピラ風情だと軽んじ、直には話していない。『予譲に数(すう)す』の『数』は『悪事の数々を数え上げて糾弾する』の『数』、犯した悪事を当の罪人に対して一つ一つ列挙する。その用法から『人に数す』と慣用修辞して『数』の字は『責め立てる』の意味を帯びる。よって『予譲を数(せ)む』は花〇の模範訓読。しかし趣味の漢籍学ではあえて上記訓読とした。『趙襄子、まのあたり予譲を数(せ)む』では原文『面數』と『面責』との違いがぼやけ、趙襄子の心境変化が浮かび上がらず、そしてこの文学作品のクライマックスに向かう盛り上がりが伝わってこない。原文『趙襄子面數豫讓』は趙襄子が面と向かって主人公を問い詰めたのではない。名君がこの場面に至って国士を認めたのであり、怨敵知伯には臣従して自分には仕えようとしなかった主人公の価値観に(対等の人間・知己の間柄として)恨み言をこぼすのであり、そしてもはや変えようのない悲劇の終局へなだれ込むのである。 ─


 趙襄子が眼前に引き据えさせた予譲は完璧に人の違った卑賎な物乞いであるばかりか、それに見合う半生すら想像させるほど。草食動物の臆病な本能でなければ気付けるものではなかった。趙襄子はいささか戦慄を覚え、予譲に面と向かってその義挙の矛盾点を数え上げた。『先生はもともと范氏や中行氏に仕えていましたが、知伯がその范氏や中行氏を滅ぼしても、先生はそれには復讐することもなく、かえってその時は主君の仇敵であるはずの知伯に古式ゆかしく礼物の贄を恭しく献上して仕えました。さて今度は知伯が滅ぼされた、だったら今度だって復讐するどころか知伯を滅ぼした者に仕えるべきではないのか、なのに今度に限って知伯のための復讐にそういう先生だけが執念深く血道をあげるとは何なのですか』。予譲のほうはこう語る。『いかにも、わたくしは范氏や中行氏に仕えておりました。並の臣下の待遇を受けました。ですから彼らのためには並の臣下として振舞いました。知伯のほうはわたくしを国士であるかのように扱ったのです、わたくしはですから知伯のためには国士のように振舞っております』。

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