『晋畢陽の孫予譲』
後段 第7文

 後段 第7文
 「居頃之,襄子當出,豫讓伏所當過橇(橋)下。襄子至橋而馬驚,襄子曰、此必豫讓也。使人問之,果豫讓。」
 居(を)ることしばらくして,襄子の出(い)づるに当り,予譲、当(まさ)に過ぐべき所の橋下に伏(ふく)せり。襄子の橋に至りて、馬驚き,襄子、曰く、これ必ず予譲ならん。人をして之(これ)を問はしむれば,果(はた)して予譲なり。
 ─ 後段の始まりはこの場面説明の文から。起承転結で言うと転にあたる部分の始まり。ここまでは矢継ぎ早に場面が切り替わり、テンポよく物語が進行してきたが、ここからの後段はこの文の場面を離れないまま物語が終幕する。文字の分量で見ても、初めは処女の如く文字数少なに控え目で、終いも脱兎のごとく簡潔に済ませて締め括り、中盤に多くの文字数を投じている。そうした構成面でもいろいろと考えさせられ、この名文は抜かりがない。─


 人事を尽くして機を窺うことしばし、とうとう狙う仇敵の外出予定を探り出すと、予譲は先回りして通り道にある橋の下で待伏せした。そうとは知らずに趙襄子は橋まで来た、が、とたんに臆病な馬車馬が騒ぎ出す。趙襄子ははたと思い当たり、従者一同に叫びたてた。『これは予譲だ! 必ずそのへんに潜んでいよう』。付近を物見させたところ、壁塗り人足の時とは似ても似ぬ無宿者の物乞いを見つけ出した、それが予譲だと趙襄子は言う。従者に尋問させてみると、はたして予譲は潔く観念して正体を明かした。

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