『晋畢陽の孫予譲』
前段 第5文

 前段 第5文
 「豫讓又漆身為厲(斄),滅須(髭)去眉,自刑以變其容,為乞人而往乞。其妻不識,曰、狀貌不似吾夫,其音何類吾夫之甚也。又吞炭為啞,變其音。」
 予譲また身に漆して斄(らい)となり,髭を滅し眉を去り,自ら刑し以つてその容を変じ,乞人となりて往きて乞ふ。その妻識(し)らずに曰く、『状貌は吾が夫(つま)に似ざるも,その音(こゑ)何ぞ吾が夫に類するの甚だしきや』。また炭を吞みて啞となり,その音を変ず。
 ─ 捲土重来に向けた凄まじいまでの準備。『自ら刑す』も一連の変身術のひとつ。江戸時代の犯罪者が二の腕に入墨を施されていたように、古代中国では額に入墨された。それを自分で偽装したことがここの『自ら刑す』。ただしそれは統一法治国家秦帝国時代以降に全国で施行が見られる制度。まだ法家思想が生まれていないこの物語の時代、群雄割拠する春秋末戦国初期の天下に法治国家と呼べるものは一つもなく、はたしてそもそも犯罪歴(前科)という概念が通じるかどうか。 ─


 初手合いでは趙襄子に完敗を食らった予譲だが、その失敗からさっそく立ち直り、再挑戦のために扮装ではまったく飽きず足らず、別人になりきることを決意する。身体に漆を塗って癘病持ち、髭も眉毛もきれいさっぱり捨て去り、仕上げに自分で額に前科者の目印を刻み付けて、まさしく見た目には別人となったが、それでもまだ満足が行かず、物乞いのみすぼらしい身なりで衆人のおびただしく往き交う市場へ出かけると、本当に右や左の...と物乞いをして、心持ちを卑しくした。すると自分の妻が突如現れた。『あら、まあ? 家を出たっきりの夫の声がすると思ったのに、似ても似つかないまったくの別人。でも薄気味悪いくらい声だけそっくりで、夫の顔が浮かんで来るようだわ』彼女は夫の悲壮な変身を知らないままそう言った。予譲はアジトに帰るなり炭を呑み込んだ。発声が不自由になった喉はもはや生来の声を出せなかった。

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