『晋畢陽の孫予譲』
前段 第4文

 前段 第4文
 「乃變姓名,為刑人,入宮涂(塗)廁,欲以刺襄子。襄子如廁心動,執問涂(塗)者,則豫讓也。刃其捍,曰、欲為知伯報讎。左右欲殺之。趙襄子曰、彼義士也,吾謹避之耳、且知伯已死無後,而其臣至為報讎,此天下之賢人也。卒釋之。

 すなはち姓名を変じて,刑人となりて,宮に入りて廁(かはや)を塗り,以て襄子を刺さんと欲す。襄子、廁に如(ゆ)きて心動く,執へて塗者を問へば,則(すなは)ち予譲なり。其の捍(こて)に刃(じん)す。いはく、『知伯の為に讎に報いんとす』。左右、之を殺すを欲す。趙襄子、曰く、『彼は義士なり,吾、謹みて之(これ)を避けるのみ。かつ、知伯すでに死して、後(のち)なきに、其の臣、為(ため)に讎に報ゆるに至るは,これ天下の賢人なり』。卒(つひ)に之を釈(ゆる)す。
 ─ 主人公の仇討ち作戦、第一弾は刑務役夫として趙襄子の御殿に潜入し、接触する機会をとらえて暗殺という段取り。おあつらえむきに利用者が無防備になりがちな厠の壁塗り作業に就く。ところが厠に立ってきたはずの趙襄子は思いもよらず警護付き、そして作業人足の中の主人公を見かけたとたんに虫が知らせるという勘の良さ。その暗殺気配を鋭く察知した理由については明記なし。『襄子如廁心動』の数文字で簡単に描かれる。たしかに、下層の力役人足の中に士階級の気位と学問教養そして鍛錬した腕っぷしの主人公とくれば、異彩を放つことは暗黙の了解か。ちなみに、その『襄子如廁心動』の句から『執問涂(塗)者,則豫讓也。』までの文型は見ればわかるとおり後文で少し変えて反復される。いわば後段のための布石。 ─


 そこで予譲は氏名を偽り、さらに受刑者となり、狙う標的である趙襄子の邸で便所小屋の壁を塗る刑務労働に就くと、ひそかに塗りゴテに刃物を仕込み、何食わぬ風情で作業しながら、用足しに来る仇敵を待った。いよいよそれは用を足しに現れた。が、趙襄子はにわかに胸騒ぎを覚え、とても労役夫にしては類まれな偉丈夫の予譲その人をたちどころにひっ捕らえさせて尋問してみた。はたして予譲は潔く素性を明かし、誰憚ることなく主君知伯のための仇敵刺殺の企てまでも言ってのけた。趙襄子の侍従一同は観念している当人の望みどおり命を奪おうとした。ところが主人はそれを押しとどめ、言い聞かせた、この者は主君のために命を懸ける忠義の士だ、わたしも自分の立場を思えばどうして殺せようか、天下の義士という義士に背を向けられてしまうだろう、わたしのほうでこの男の野望をかわすしかあるまい、しかももはや知伯はその家ごと亡んでしまったというのに、不敵にもこの家臣はそれでも讎に報いようという、なんと高潔な志の持ち主であることか、それだけでも死なすに惜しい国士だ。趙襄子はそう言ってとうとう刺客を放免してしまった。

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