『晋畢陽の孫予譲』
後段 第11文∼第13文

 後段 第11文
 「於是襄子義之,乃使使者持衣與豫讓。」
 是(ここ)に於(お)いて襄子、之(これ)を義(ぎ)とし,乃(すなは)ち使者をして衣(い)を持(ぢ)し予譲に与(あた)へしむ。
 ─ 前文、主人公の引用したことわざのような文言はことわざではなく、この晋国で最も有名な英明君主、晋国の生んだ覇者である晋文公と宦者勃鞮(履鞮)の故実である。『史記』の晋世家に出ている。そこで、続くこの文では趙襄子がその故実に因んだ予譲辞世の語りを義であるとする。また前文に戻って、主人公の引用した文言は晋文公と宦者勃鞮(履鞮)の故実だから『明主は人の義を掩(おほ)はず,忠臣は死を愛(おし)まずして以(もっ)て名を成す』となっているが、この文言は明主と忠臣の組み合わせを替えればさまざまなヴァリエーションが可能であり、その都度、それぞれの主従の物語に応じて語句も換わる。『史記』刺客列伝の引用がその例。『史記』の例は引用というより、この『趙襄子と予譲』の故実(ほんとうは後世の創作文学)に適合させた改変かもしれない。 ─
 後段 第12文
 「豫讓拔劍三躍,呼天擊之曰、而可以報知伯矣。遂伏劍而死。」
 予譲、剣を抜きて三たび躍(おど)り,天に呼(よ)ばはりて之(これ)を撃ちて曰く、而(すなは)ち以(もつ)て知伯に報(むく)ゆべし。遂(つひ)に剣に伏(ふく)して死す。
 ─ ちょっと前の文に戻る。趙襄子泪ながらの処刑宣告に返した主人公の長い辞世の語り、その結語は『非所望也,敢布腹心』だった。この『非所望』は従来まちがって理解され、正しい解釈は皆無。生殺与奪の権握る趙襄子に対して謙譲しながら着物を所望したと理解されているが、それでは謙譲ではなく俘虜囚の卑屈。そして『布腹心』。腹心は腹の底の本心だが、そうした赤心をいう表現は数多くある。そんな数多くある中で腹心は腹心の部下などと言うように、心の支えとなる人物を引き連れてくる語。ここでは晋文公と宦者勃鞮(履鞮)の故実がモチーフなのだから、主人公の腹心に忠臣勃鞮(履鞮)がいることは言わずと知れる。忠臣勃鞮(履鞮)は『死を愛(おし)まずして以(もつ)て名を成したり』という古人なので、それを腹心ひそかに隠していたという主人公にとっては内心憧れる忠臣、理想とする忠臣。そこで直前の句『非所望也』の謙譲はここに係る。自分ごときくだらぬ者、主君のために殉死もできない、仇討ちもすぐ捕まる、こんな腑抜けた男、かの晋文様に命懸けで忠義立てしたという古人殿の真似をしたいなどとはやはり分不相応で望外でしょうか...と謙譲している。 ─
 後段 第13文
 「死之日,趙國之士聞之,皆為涕泣。」
 死ぬるの日,趙国の士、之を聞きて,みな為(ため)に涕泣す。
 ─ 現行本はこの結末文で終わり、『史記』も同じだが、別の結末も書かれたことが知られている。...主人公の勇ましい最期を見届けた趙襄子、馬車に戻ろうとして、すぐに自身の異変に気づく。自分には傷もないのに、着ている物にべっとりと血が付いていたのである。それはちょうど先刻主人公に与えた着物の斬られた部分だった。怪しく思いながら馬車に乗る趙襄子、しかし今度は周りの者たちがすぐに彼の異変に気づく。車上で身を突っ伏していたのである。慌てて皆が駆け寄ると、まだ馬車の車輪が一回転もしないうち、趙襄子はすでにこと切れていた... ─


 今にも処刑される今際のきわでありながら、今日の事を昔日の明主と忠臣の暗殺未遂の事になぞらえ、しかも死出の旅の自分をいにしえの忠臣と言うよりは生き残る仇敵を名高い明主に擬することに意を凝らす優雅な即興の語り。襄子は涙も忘れてしばし耳に残る予譲の声に聞き惚れ、その話を義であるとし、そして着物を斬られて覇者となった名高い明主のように、自分も着物を使者に持たせて望みのまま予譲に下賜した。
 予譲は剣を抜き、典雅にその着物の周りで飛び跳ねて天に叫び上げて撃ち掛かると、またそれの周りを典雅に飛び跳ね、古式ゆかしくその雄々しい儀礼を三度くりかえしてから、趙襄子の寛大な処置に頭を下げ、そして深く呼吸して言った。『これで知伯に報いることができる』。故主の仇を眼前にしながら、お命頂戴でもなく、仇本人に一矢報いるでもなく、せいぜい着物に三太刀の残り物しかなかったが、それでも手土産は手土産、とっくにこの世の煩悩から脱している鬼籍の故主が手土産の多寡でへそを曲げるわけもなく、手土産を調えて君恩に顔向けしに行く律義者がいれば充分だった。予譲は剣を自分に向けて逆手に持つと、自刃して剣に突っ伏した。己を知る主君にまさしく命懸けで仕えることができた義士の死に顔は潔かった。
 予譲が自害して果てた日、趙国の士階級はその悲壮な話を聞いて、みな涙ながして泣いた。

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