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『約束の邪馬台国』

このページの構成

【概要】

英題: Promised Imperial Land
成立: 書き下ろし
古典: 『三国志』魏志、東夷伝・倭人
何?: 日本古代史
備考: 

【解説】

約束の邪馬台国 map1

 邪馬台国は魏志倭人伝が出典となる日本古代の女王国です。
 女王国なのですが、もともと70~80年ほどは一般的な国々と異なることなく男子が玉座に坐っていました。
 西暦200年前後にいわゆる倭国大乱が起こり、その末に合議で女王ヒミコを立てたとされます。
 そのへんの事情に関する魏志倭人伝の原文です。「其國本亦以男子為王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子為王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆」
 邪馬台国という語がありません。魏志倭人伝では邪馬台国の呼び方が一定ではないのです。
 「その国、もと、また男子を以て王とす。とどまること七八十年。倭国乱れ、あひ攻伐すること歴年、すなはち共に一女子を立て王とす。名、卑弥呼と曰ふ。鬼道につかへ、よく衆を惑す」

約束の邪馬台国 1

 邪馬台国とは卑弥呼の王都があった地域の名称です。戸数七万、ヒミコの王宮には侍女千人と男子一人が仕えたそうです。
 しかし邪馬台国の来歴を述べるこの段では、其國そして倭國と呼び換えられています。
 其の国は邪馬台国ですが、定義を拡げるための表現でしょう。もう一方の倭国は倭人世界の全体も指す大げさな呼び方です。
 その直前に住七八十年と述べています。男子を以て王と為の次です。住はニンベンに主、この主は駐の主でとどまる意です、人がとどまるので住むこと、住まいをいいます。
 国の歴史や王位について述べているはずの文脈にこの所帯じみた住の字は場違いの印象ですが、70~80年前の西暦100年代前半に王統が移住してきたというこぼれ話でしょうか。
 あるいは住という字が分解すると人主=国君なので採用されたのかもしれません。
 それに続く倭国乱れ相攻伐すとは、暗に邪馬台国王が倭人世界の盟主でもあったと言っています。
 共立一女子為王名曰卑彌呼、この共は相攻伐の相を受け、内戦を引き起こした倭国の有力者たちが主語です。
 事鬼道能惑衆、鬼道に事へるは土着宗教に奉仕する、古代倭人世界の土着宗教なので神道のことでしょう、能く衆を惑すの惑は惑星の惑、衆を引き付ける、たいへん支持を集めていたのです。
 この段のあと、西暦240年代ころに当時の魏国の王と使者を交わしたなどの記述があります。それからほどなく女王ヒミコは世を去りました。
 魏志倭人伝は女王ヒミコの後継者となったトヨに言及したところで記述を終えます。西暦250年代ころでしょう。

約束の邪馬台国 2

 この倭人伝を収録する『三国志』は西暦300年ころに書かれました。
 その後、倭人に関する記事はしばらく中国の歴史書から消え、西暦400年代のいわゆる倭の五王のことが少しだけ伝えられます。
 つまり西暦300年代とその前後、約1世紀半にわたる倭人世界の実情は有史の外です。
 とはいえ、日本の有史以前を切り開いた『古事記』に、それからの邪馬台国を想像させるお話が無いわけではありません。
 神武天皇の物語の出だしです。「(神武天皇が兄と)坐高千穗宮而議云坐何地者平聞看天下之政猶思東行卽自日向發幸行筑紫」
 皇統の初代と推定される神武天皇の物語は東征のいきさつから始まります。のちの神武天皇はまだ瀬戸内海西側の高千穂の宮にあり、もっと東方へ移住する必要性を兄のイツセノミコトと評議しました。
 「(神武天皇が兄と)高千穗宮にいまして議していはく、いづくの地におはさば平らかに天下の政を聞こしめす、なほ東行をおぼせ。すなはち日向より発し筑紫にみゆきす」
 ところで邪馬台国の所在地はいまだ議論の的ですが、邪馬台国を中心に結束していた倭人世界のほうも気になります。
 のちに瀬戸内海東側の畿内で落ち着くことになる初代天皇の言動によれば、天下を平定するには宮崎より奈良のほうが好立地でした。
 すると、日本の初代天皇が想定していた天下とは瀬戸内海西側一帯にはとどまりません。少なくともそこから畿内までの西日本全域、ことによると『古事記』の成立した白鳳期の版図全域が古代最初の天皇から見晴かして約束の地でした。
 魏志倭人伝によれば、女王国の東にもさらに国々があり、やはり住人は倭種だったとされます。
 さて、邪馬台国をめぐるいわゆる所在地論争は今もおおよそ九州説と畿内説が双璧です。
 [ 九州説 ]
 九州説が正解であれば、魏志倭人伝のいう東方の倭種の国々には畿内一帯が含まれるのでしょう。そして『古事記』の神武東征伝説に照らし合わせると、古代日本の皇統は邪馬台国と同じ瀬戸内海西側一帯の倭国連合体から出ています。
 神武東征の年代が問題です。邪馬台国以前とすると、西暦100年代から200年代中期までの古代倭人世界は九州と畿内という二つの中心勢力に分裂していたことになります。しかしその仮定については現在のあらゆる資料が否定的です。
 そこで邪馬台国九州説に従えば、神武東征に始まるいわゆる大和王朝は女王国を引き継いで西暦200年代後半以降に誕生します。
 [ 畿内説 ]
 畿内説が正解であっても、神武東征の年代が問題です。
 一方の九州説のように、神武東征が女王国以後であれば、畿内の邪馬台国王権は神武天皇一味によって簒奪されたことになります。ぞっとしない仮定ですが、その場合も二つの王朝のみならず、両王朝によって統治されていた二つの倭人世界が必要となるため、やはり資料が否定的です。
 すると畿内説では神武東征が邪馬台国に先んじて起こりそうですが、暦年争乱後の女王国を書いていない『古事記』は否定的です。
 もっとも、書かれてあることがすべてなのでしょうか。
 『古事記』の世界を歴史というなら歴史に付き物のこぼれ話もある道理です。

Apr 18, 2020 - サイト管理人

 『三国志』魏志東夷伝倭人 原文


 『後漢書』東夷伝倭 原文





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