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『垓下の歌』

このページの構成

【概要】

作詩: 前202年(伝)
史記: 前97年
備考: 
 京劇の定番演目『覇王別姫』の題材。
 映画の『覇王別姫』はその京劇から。
 他、無数の文学作品に引用。

【解説】

 【 Greatest詩歌 2 】

  垓下歌。
 力拔山兮氣蓋世
 時不利兮騅不逝
 騅不逝兮可柰何
 虞兮虞兮柰若何 
  垓下の歌。 - 歌意
 (詩文中の「兮 (音読=ケイ)」は屈原の『楚辞』で多用されている、便利な助詞。この助詞を多用すると、このいい加減な助詞を好んだ南方の楚の人の詩歌らしくなる)
 この「力」は(城どころか)山をも抜き、そして覇気はあまねく世の人々を震え上がらせながら、
 たまたま不利な逆風に吹かれ、乗り馬の騅(スイ。ウマヘンにススムのフルトリ)も死の影におびえて進もうとしないこの窮地。
 乗り馬が駆けないのではもうお手上げではないか、反撃もできない、この死地からの脱出も叶わない、どうしろというのか。
 万事休した。虞や、虞や、今はお前をどうしたものか。
 (虞美人は項羽の言えない真意を汲み、その場で先に自害する)
  ― 楚漢春秋 ―
 伝項羽作「垓下の歌」は『史記』項羽本紀が出典です。
 『史記』の本紀や世家は資料丸写しが基本方針だったようです。項羽本紀など、項羽と劉邦の楚漢戦争を書くにあたっては、陸賈の『楚漢春秋』が資料だったとされます。
 陸賈は劉邦に仕えて終戦後の漢初に活躍した人ですが、その『楚漢春秋』はいつの時期からか書写が絶えました。おそらく前漢中期成立の『史記』を読めばほぼ間に合うということでしょう。
  ― 先即制人 ―
 西紀前210年、始皇帝が崩ずると、タガが外れたように秦帝国は土崩瓦解を始めます。
 陳渉・呉広による農民蜂起が反乱の火付け役となり、その激震は近隣から全国へまたたく間に波紋をひろげました。
 激震地にほど近い会稽郡の呉中では郡の長官の殷通がすばやく時勢を見通し、帝国への反乱勢力に転ずるため、呉中で顔役として評判だった項梁に相談を持ち掛けます。
 「余は次のように聞いておる。
 “先即制人、後則為人所制
 (先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち制せらる所の人とならん)”。
 そこで、今のうちに反乱軍を起こそうと思うが、おぬしと桓楚に指揮を執ってもらいたい」
 孫子の兵法に「巧遅は拙速に如かず (速さが至上)」といいます。秦の中央政府から派遣されているいわば落下傘郡主の殷通はことを急ぐため、手っ取り早く土地の顔役を使おうとしたのでした、ろくに身体検査もせず。
 項梁は項燕の末子で、その甥の項羽は項燕の孫にあたります。
 楚の国で代々将軍職に任じていた名門項氏、かつて秦始皇帝の全土攻略戦にあたり項燕は楚国の主力軍を率いて迎え撃ちましたが、秦の名将王翦の手にかかり、その勢いで楚国も秦始皇帝に滅ぼされています。
 秦帝国の天下になると項梁・項羽も始皇帝の統一に抵抗した敵国将軍の一族という身の上になり、叔父項梁は少年項羽を連れ呉中に渡り、来たるべき討秦の日に備えました。
 そして郡守殷通から呼び出しがかかると、項梁はすわと決起の手はずを急ぎ、もう準備万端ととのえていたのです。
 「ほう、さようでございますか。しかし桓楚はこの地に逃れて来てから行方が知れぬそうな。...実はそれがしの甥が親しく会っておるようでございます。ちょうど連れて参っておりますゆえ、ちょっと確かめて参りましょう」
 項梁はいったん席をはずし、外で項羽に段取りを耳打ちして、館内へ戻りました。
 「──では、甥めを呼びますので、郡守さま直々に桓楚の件をお命じ下さるよう願います」
 「うん? お、そうか。よし」
 殷通に許されて項梁が呼び入れると、項羽はおとなしく桓楚捜索のお達しを聞いていましたが、項梁が目で合図したとたん、黙って殷通に近づき、その首を一刀両断してしまいます。
 すかさず項梁は駆け寄って郡守の印を自分の腰に結び付け、床の首を拾うと、満面に笑いを含んで、死人の顔に言い放ちました。
 「先手必勝だ!」
 郡役所の内外は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、二人の狼藉者へ大勢の役人が殺到しましたが、このとき項羽は次から次へ斬り伏せること数十人から百人、その血の海のなかの鬼神のごとき姿に怖じ気づかない者はなく、ついに誰も立ち向かわなくなったといいます。
  ― 四面楚歌 ~ 垓下の歌 ―
 「項王軍壁垓下、兵少食尽、漢軍及諸侯兵、圍之数重、夜聞漢軍四面皆楚歌、
 (項王軍、垓下に壁す。兵少なく、食尽く。漢軍および諸侯の兵、これを囲むこと数重。夜、漢軍の四面みな楚歌するを聞く)」
 小高い丘陵に囲まれる垓下、漢軍の本隊と韓信軍、彭越軍、そして鯨布など諸侯の兵はそこに項羽軍を追い込み、かたや項羽軍はやむなく立てこもります(壁す)。
 項羽軍はもはや「兵少食尽」の敗勢ですが、対照的に兵多く糧秣豊富な劉邦軍はそれでも慎重に取り囲んで討滅を急がず、歴史に名高い四面楚歌の計で項羽軍を心理面からも追い詰めます。
 武力の項羽に対して政治の劉邦、その対比が鮮やかに浮かび上がるくだりです。
 しかし戦況ここに至るまでの両雄の対戦を振り返れば、けっして劉邦軍にしても圧倒的優位に立った余裕から落ち着きすまして賢い心理攻撃を用いたのではありません。
 垓下の直前、両軍は天下二分を条件に、休戦協定を結びます。数年にわたった長期戦の中断です。常勝の西楚覇王にすればもちろん敵に譲歩する停戦は腹に据えかねるものでしたが、腹が減って戦はできない窮状から、耐え難きを耐えました。
 その停戦にはむしろ漢軍の兵卒のほうが歓呼を上げます。鬼神項羽が睨みつけている恐怖の戦場から解放される喜びは並々ではなかったのです。
 劉邦は項羽と100戦して99敗、最後に1度だけ勝って天下を取った、と言われます。
 楚漢初期、劉邦は兵50万の大連合軍を編成し、項羽が北方征伐へ出たすきに、その本拠を襲い、留守部隊を蹴散らし、その都城を蹂躙します。しかし項羽が急遽たった2万の軍を率いて駆け戻ると、大連合軍はたちどころに粉砕されてしまいました。
 以来、漢軍は項羽配下の将には何度か勝てましたが、西楚覇王本人には必ず負けます。両雄だけで比べれば劉邦が弱いのですが、長い歴史で見れば項羽には誰も敵わないのです。
 取り囲んだ多勢に立てこもった無勢でありながら、漢軍および諸侯の兵は攻め込まなかったというより、それでも鬼神の反転攻勢を想像していたでしょう。
 四面楚歌の計は異能の才人陳平の献策だったといわれます。劉邦はそれを好み、さっそく自陣に「兮、兮」と楚歌させます。
 「項王乃大驚曰、漢皆已得楚乎、是何楚人之多也、項王則夜起飲帳中、
  (項王すなわち大いに驚きて曰く、『漢、みなすでに楚を得たるか。これ何ぞ楚人の多きや』と。項王、則ち夜起きて帳中に飲む)」
 包囲軍の無数の楚歌の声々と、腹が泣いて歌う元気もない寡兵の窮地軍、西楚の覇王は生まれて初めて敗北の挫折感に沈みました。
 覇王は夜更けに目が覚め、陣幕のなかに酒を用意させて、焦るような胸騒ぎを鎮めようと飲みます。寝台を共にしていた虞美人も起き出し、静かに項羽を見守りました。
 「大王、この夜陰に紛れてお味方が逃亡いたしております、いかがなさいますか」
 陣幕の明かりを見つけ、警備兵が外から報告を上げます。項王の性格を考えて、言葉を選び穏やかな表現にとどめましたが、夜明けを待てずに報告したほど、実態は四面楚歌の効果で将兵がゴッソリ離脱していたのです。猛将の鍾離眛もこの夜に逃亡し、そして覇王の叔父の項伯もこのときツテを頼って劉邦側に投降したといいます。
 いつになく項羽は激さず、むしろ自嘲気味に苦笑しました。
 「いい、いい。放っておけ」
 そしてまた飲み、部下に見限られる敗軍の将の身を噛みしめました。
 「於是項王乃悲歌忼慨、自為詩曰、 (垓下歌)、歌数闋、美人和之、項王泣数行下、
 (ここにおいて項王、すなわち悲歌忼慨す。自ら詩をつくりて曰く、『力、山を拔き、氣は世を蓋う。時、利せず、騅逝かず。騅の逝かざる、柰何すべき。虞や虞や、なんじを柰何せん』と。歌うこと数闋。美人これに和す。項王、なみだ数行くだる)」
 ここから先は死にもの狂いの戦闘になります。愛姫とはここで別れねばなりません。しかも、覇王と愛姫との別れは最も悲愴な形となるしかありません。
 垓下の歌を虞美人と唱和して、覇王の面上を涙が下ります。
 『史記』とは別の伝によれば、歌に続いて虞美人は項羽の佩刀を請い、剣舞したといいます。

虞姫剣舞1

 神妙な面持ちで覇王栄光の戦歴を優美な剣舞によみがえらせ、戦意を回復させて、静かに舞いを終えると、虞姫はその剣を自身の細い喉に当て、首を掻いて先立ちます。
 坐したまま白い素肌と赤い鮮血を見詰め、項王はしだいに目を怒らせて、すっくと立ち上がると、酒杯をたたき捨て、戎服を着て馬上の人になります。
 「行くぞ!」
 すぐ呼応して従うもの八百余騎、覇王と草の枕を並べて死にたがるほどに心服していた強者どもでした。
 漢軍の包囲を突き破って、残り百余騎。
 道に迷って追撃を受け、残り二十八騎。
 意表をついて反撃に転じ、二騎が脱落。
 漢軍の追跡を脱し、項王以下二十数騎、烏江を渡河して江東へ逃げ延びる機会が訪れます。
 が、急に項羽は死を愛し、むざむざ馬を捨て徒歩になって引き返し、漢軍追撃隊のなかへ飛びこみ、身に十数の戦創(いくさきず)をつけてから自刎した、と伝えられます。

Jun 26, 2016 - サイト管理人

垓下の歌1
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