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『 孫 子 』

このページの構成

【概要】

成立: 漢代初期(推定)
作者: 【解題】参照
備考: 今なお現役の恐るべき名著。しかし大器は晩成す、当初は下積みの苦労があった模様。
 1972年、「銀雀山漢簡」が出土、現存最古写本。

【解題】

  ー 呉越は同舟しません ー

 (呉越は同舟しない: 呉越同舟は仲の悪い者同士が居合わせてしまうこと。そこから、そもそも仲の悪い者同士なら同じ小舟に乗らないだろうという意味。転じて、あり得ないことの譬え)

 今や兵法書の一人横綱であり代名詞、軍事の原理原則を論述する兵書『孫子』。
 そういえば、初めてこの書が世に現れてからちょうど二千年ほど経つのではないでしょうか、しかし生誕2,000年記念祭という呼び掛けはまったく聞きません。
 日本では『源氏物語』の成立1,000年記念のにぎやかなお誕生会がありましたが、兵法書『孫子』の生誕祭の場合はもっと世界規模でしょう。
 古代中国で書かれた『孫子』はすでに近代から、19世紀のナポレオンが座右の書にしていたとか、ドイツ皇帝ウィルヘルムⅡ世の悔恨とか、限定的には世界で知られていたようですが、20世紀になると本格的にグローバル化しました。
 そして一般の中国古典は退役軍人のように世界に迎えられるものですが、この『孫子』の場合は軍学書という性格から、現世御利益的な現役の実用書として世界で研究されているようです。
 21世紀の現在では世界的な拡大だけではなく、異分野からも引っ張りだこになります。現代ビジネスが『孫子』の知恵を応用しようとしている等々。ちなみにビジネス書の主要購読層は中高年男性ですから、出版業界がチャンバラ好きお父さんの嗜好を当て込んでいるのでしょう。
 異分野への応用は昔もあり、徳川時代の初めに家康が『孫子』など兵法七書を印刷させ、幕府組織の運営に役立てようとしたといいます。これも組織運営への応用と言いつつ、半分はチャンバラ好きな発想だったのでしょう。
 さて、兵書『孫子』に関する最古の言及は前漢中期の西紀前100年ころに書かれた『史記』の孫子・呉起列伝にあります。
 それを読むと、漢代の男の子らも手に汗にぎる大興奮のチャンバラ話がずいぶんお好きだったとわかります。
 『史記』孫子呉起列伝は孫武・孫臏・呉起という兵法達者三人を取り上げ、三人それぞれに、今日でいう『孫子』『孫臏兵法書』『呉子』という兵法書があるとしています。
 孫臏(ソンピン sonpin 中国音sunbin)については このサイトの ▶ 「桂陵の戦い」のページ 参照。
 いや、正確な解説を期すなら、『史記』孫子呉起列伝はその三兵法書のほうを取り上げているのですが、書物では列伝にならないので、三書それぞれの兵家を紹介しているのです。人物のほうならば三人とも兵家として特筆するほどではなく、なかでも呉起にいたっては兵家というより政治家です。孫子と呉起という奇異な組み合わせは兵法書以外の何が共通するでしょうか。
 後世、その『史記』列伝の記述に基づいて、兵書『孫子』の作者を孫武とする見解が定説となります。しかし、作者問題について非常にのどかな認識しか持ち合わせていなかった前漢中期の『史記』を後世の作者問題の論拠とすることは無理があるでしょう。
 『史記』列伝は「孫臏の書」「呉起の書」とだけ記述し、実際の著述者を特に意識していません。
 唯一、孫武についてのみ、その人物像を形成する記述のなかで兵書『孫子』の作者だと暗示しています。しかしそれもまた後にくだくだしい作者問題を巻き起こすとは思いもしなかったのどかな往時ゆえの筆の滑りでしょう。

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 その筆の滑りによると、呉越戦争のころ、斉のひと孫武より上呈された著作十三篇を呉王闔閭(コウリョ)がたいそうお気に召し、ためしに後宮女性たちで編成されたママゴトの軍団を孫武に調練させてみたところ、大将役とした二人の愛妾を斬り殺された、といいます。
 呉越戦争...(笑) 春秋末期の西紀前500年ころ、というより、『荘子』内篇のくだらないたとえ話でも舞台とされているように、前漢時代においては作り話の定番舞台だったようです。まったくばかげています、なんだって兵法家がまだ自分で稼げる虎の巻情報をまさに書き入れ時の春秋・戦国期にそうもたやすくしたためるというのでしょうか。
 『孫子』などの中国兵法書はのどかな漢代になってからのん気に書かれ始めます。おそらく『孫臏兵法書』がその口火を切ったのでしょう。
 兵書『孫子』が世界へ飛翔した20世紀、発祥の地の中国で考古学・文献学上の発見がありました。『史記』の成立より少し先立つ前漢墓から『孫子』『孫臏兵法書』の二書が発掘されます。
 厳密に言えば、当時「孫子の書」と認識されていた兵書と、それに含まれる「孫臏の書」であり、ともに書物というよりばらばらの断簡です。
 兵書『孫子』の人気の陰に隠れるように、「孫臏の書」はある時期から佚書となり、この発見でよみがえりました。
 結局、古記録どおり孫臏には彼自身の兵書があったということで、兵書『孫子』の作者候補から孫臏を完全に除外する発見となりましたが、しかしその短絡な結論はいかがなものだったでしょうか。
 ふたたび日の目を見た「孫臏の書」のなかに、研究者によって「擒龐涓」と名付けられた章段があります。今で言えば手に汗にぎる大興奮のチャンバラ文学です。
 このサイトの ▶ 「桂陵の戦い」のページ で少し詳しく論証しておきましたが、『史記』孫子呉起列伝に描かれる「桂陵の戦い」「馬陵の戦い」という孫臏の復讐戦はその「擒龐涓」の章段からの翻案です。
 いや、現実に『史記』の「桂陵の戦い及び馬陵の戦い」という改作版がある以上、それに少し先立つ前漢墓の「擒龐涓」の章段もまた、前漢初期に著作されたオリジナル「孫臏書中『擒龐涓』」からの改訂版である可能性が濃厚でしょう。
 もとよりオリジナル原稿は今なお逸文ですが、上記のように二種二様の模本が現存すれば、だいたい想像がつきます。
 きっと前漢初期の読書家すなわち熱い男の子らには初体験となる高度戦術に基づくチャンバラ活劇、ずいぶん衝撃を与えたでしょう。
 上記の前漢墓に副葬された「孫臏の書」は十五篇ないし三十篇、前漢末期の時点では八十九篇。ちなみに「孫子の書」も、『史記』当時は十三篇、前漢末期の同じ調査記録で八十二篇、以下に続く「呉子兵法書」が四十余篇。
 『史記』普及以降の認識では、孫臏といってもたかだか例の龐涓との復讐戦でしか活躍しなかった裏方軍師のはずなのに、前漢時代の兵法文学で他の兵家の追随を許さない圧倒的ヒーローだったという驚きの実態は何事なのでしょうか。事実、たまたま前漢の墓から兵法書が出てみると、それはさも当然のような顔をして『孫臏兵法書』と『孫子』なのです。仮に、そうした熱いお墓が何個見つかってもやはり高確率で『孫臏兵法書』と『孫子』なのでしょう。ほかには『尉繚子』『六韜』があったそうです。
 前漢期に盛り上がった兵法人気は今で言う『孫子』『孫臏兵法書』の二書によって牽引されますが、今や一人横綱である『孫子』の人気のおこぼれで『孫臏兵法書』のほうも読まれたというどころか、むしろ逆にどちらかといえば真の牽引役は『孫臏兵法書』であり、地味な兵家思想概要書である『孫子』の人気のほうが後追いだったのでしょう。
 前漢末期以降、堅苦しい学問定義上で孫臏は諸子百家の兵家思想家とされますが、まるで堅苦しくなかった前漢初期ののどかな認識ではとっくに兵家思想の開祖だったかもしれません。
 彼は斉威王の軍師。
 斉威王はその孫臏を用いて桂陵の戦いに大勝するなど、当時最大諸侯だった梁恵王の魏軍を二度までも撃破しますが、そうした軍事面の他、むしろ文化の面で歴史上重要と言えます。
 のちに諸子思想家による百家争鳴と形容される戦国期思想界、その中心地は斉威王が創設した稷門下であり、稷下の学が中核となります。
 その斉威王の雇われだった孫臏はただの復讐の軍師にとどまらず、ふとした弾みで戦国兵家思想の創始者と見なされてもおかしくありません。いわば「擒龐涓」の兵法家はしっかりした由緒があったのです。
 しかし漢代が終わり三国時代へ移った西紀200年ころから、以上の孫臏人気は急速に衰えていったようです。兵法文学の主戦場は古い戦国時代から新しい三国時代へ移りました。
 『孫子』兵法書は機を見るに敏、疾(はや)きこと風のごとし、どこの軍隊でも食っていける普遍性を指向していたしたたか者はためらいなく『孫臏兵法書』から三国志物語へ鞍替えします。
 現行『孫子』兵法書の決定版はその三国時代最大の英雄である曹操が作成しています。
 『孫臏兵法書』が逸文となっていった時期、世の中では羅漢中の『三国志演義』まで、盛んに三国志の物語が作られだしたようです。兵法文学の流行が変わったのでした。
 現在まで続く三国志物語の人気に便乗できた古典『孫子』が世界へ飛び立った20世紀、もう一方の『孫臏兵法書』は死にかけていた坑(あな)埋めから命からがら掘り出されます。『史記』では同じ「孫子の書」としてことさら区別されず、実際、当時の前漢墓からも一緒に出てくるのに、この明暗歴然の末路は何事でしょうか。
 戦国期という特定時代を舞台とする臨場感ゆえに一世を風靡し、それゆえに一世の流行として古びてしまった本家「孫子」の書。ベストセラーの宿命だったかもしれません。

Sep 22, 2016 - サイト管理人




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