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『古事記』

このページの構成

【概要】

成立: 712年
撰者: 太安万侶
備考: 

【解題】

 『古事記』が成立する西紀712年から百数十年さかのぼる紀元6世紀後半、大和朝廷では守旧派と急進派が激しい主導権争いを繰り広げていたとされ、その火花散らす対立は「仏像論争」と呼ばれる口論事件で象徴されています。
 仏像とは神道の国である倭国に贈られた百済からの仏像です。
 守旧派の急先鋒は物部氏、いわゆる大和朝廷が九州宮崎県の高千穂から持ってきたという古い神道を氏族の勢力基盤とすることから、そんな異邦の邪神を崇めれば我が国の八百万神が怒りだすと猛反発。急進派の親分は蘇我氏、武内宿禰系で大阪に本領を持つとされ、おそらく積極的な海外交易で勢力が伸張した氏族であるため、鼻息荒く仏教受容を主張。
 ついに587年、両者は武力決戦に突入、これを丁未の乱といいます。または物部守屋の変とも呼ばれ、守旧派代表の守屋がここで滅びました。
 敵対勢力を葬り去った開明派蘇我氏の絶対権力のもと、それからの大和国家は大陸文化の摂取を強力に推し進め、そのいわば脱倭入漢路線は大陸の大唐国が衰退する紀元9世紀後半まで続くのでした。
 『古事記』成立当時から見たその百数十年前の丁未の乱はちょうど昭和・平成時代から見た明治維新のような内戦になるのでしょうか。
 「散切り頭を叩いてみれば 文明開化の音がする」
 奈良時代初頭、西紀712年完成の『古事記』が物語る時代はその丁未の乱あたりまで、現在通説となっている時代区分では古墳時代ということになります。
 さて、そもそも『古事記』という書名、これは成立当初にはなく、時代が下ってからの後付けです。
 現在はコジキと読みますが、もとはフルコトブミと読んでいたとされます。もっとも、どう読むかより、その命名が適切だったかが問題です。いい名前だったようですが、この書にはちょっと重荷になったかもしれません。
 古事記には撰者自身の書いた序文があり、この書の成立事情を述べていますが、それによると、旧辞(本辞)を採録したそうです。「辞」を書いたのであり、「事」を書いたのではありません。つまり語りものを寄せ集めたのであり、歴史書を編纂しようという考えではありませんでした。
 日本人はある時、漢籍『三国志』のなかで古い日本の姿が述べられていることに気付きました。いわゆる魏志倭人伝です。西紀200年代中期、この国は女王卑弥呼に治められていました。それは記紀の愛読者たちがイメージしていた上代日本とは別世界でした。
 そうした衝撃のせいもあり、近世以降、邪馬台国論争が盛り上がります。
 江戸期には国学の大家である本居宣長が卑弥呼とは九州地方で勝手に王を称していた女酋だと結論しました。彼は記紀に軸足を置いていたので漢籍の世界観が今一つ性に合わなかったのでしょうか。
 現在は逆に記紀のほうの史料性がまるで相手にされなくなっています。
 むしごろし大化の改新で飛鳥時代前半の蘇我氏体制は倒れますが、その後の天智天武朝以降も大陸漢文化を積極導入する方針は継続されました。奈良時代は先進文化の習得から活用の段階へ転じたと言えるかもしれません。
 しかしだんだん中国風の国になってくると、日本のアイデンティティーを取り戻したいという欲求も増してきます。
 それはかな書きされた紀貫之『古今かな序』『土佐日記』以降の国風文化で達成されますが、すでに記紀と万葉集がそうした欲求の産物なのかもしれません。
 例の古事記序文に言わせれば、天武帝や元明女帝も国民性回復運動の影響下にあったようです。
 ところで『古事記』執筆の資料はほぼ稗田阿礼という古老の語る昔話に負ったといいます。その稗田阿礼は天武天皇のお言いつけで二十七歳のころから皇統関連の昔話を習い覚えてきたそうです。
 では阿礼の聴き集めた昔話とはどういう素性の...どこの馬の骨だったでしょうか。昔、古事記と書いてフルコトブミと読んでいたといわれるような古い時代の日本人はそうした点についてはとんと無頓着だったようです。
 想像力を働かせてみると、丁未乱後の早い時期から、今で言う古墳時代、物部守屋までの旧時代を舞台にした昔話が生み出されてきたのでしょう、国民性回復主義によって。

Nov 21 2017 - サイト管理人

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